あなたが鎮まり、気づきが起こるとき
そこにあるのは充満する静寂
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明日は旧暦の元旦、そして変革を司る水瓶座の新月🌚✨この大きな節目を前に、職場では、まるで「神事」のような凄まじい出来事が起こりました✨
高齢の男女お二人が申し合わせたかのように同時に激しい嘔吐と排泄を繰り返されたのです💦一日中、その対応に追われながら、私は自らの身体にも走る重い凝りと痛みを感じていました💦一日の仕事を終え静かに座ったとき、私の心は反射的にこう囁きました。
『これは、明日の新月に合わせた魂のデトックスだな…』
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私たちは起きた出来事に対して、どうしても「意味」という名前をつけたがります。「これは浄化だ」「これは進化のプロセスだ」「これは投影だ」…でも、実は、そうした意味づけを欲しがるのは、エゴ(自我)。
エゴは理由のない空白を恐れます。ドラマチックな物語を紡ぐことで「自分は今、特別な体験をしている」という存在理由を確認し、生きている実感を味わい、安心したいのです。
しかし、まずは、そのエゴを否定せず、優しく認めることを許してもいい✨
『今日起きたこと、これは素晴らしい浄化なんだよ』と、自分自身に声をかける✨その物語に身を委ね、意味という薬で心を落ち着かせることは、私たちがこの世界で生きていくための「慈悲深いステップ」✨
意味づけをすることで、エゴは初めて「わかってもらえた」「存在していい」と満足し、握りしめていた拳を解くことができるからです✨
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しかしその安らぎの、さらに奥にある「真の自由」。エゴが物語に満足してふっとゆるんだ隙に、その「意味」さえも手放すことでそれは見えてきます
なぜなら、物語という「薬」に頼っているうちは、私たちの平安は状況次第で揺らいでしまうからです💦真の救いとは、意味・解釈という防波堤をあえて取り払い、目の前で起きていることを「何の脚色もない、純粋なエネルギーの動き」として、裸のまま見つめることです✨
激しい排泄も、自分を襲うこの痛みも、ただ「起きていることが、起きている」と、如実(ありのまま)に観る✨すると、意味を紡ごうとする騒がしい思考の背後に、一度も汚れたことのない圧倒的な「動かぬ静寂」が、横たわっていることに気づきます✨
物語を手放したとき、現象という波がどれほど激しくても、肉体という器がどれほど軋もうとも、それらを観ている「意識」そのものは1ミリも損なわれておらず、最初から完全な平安の中にあったのだという事に気づきます✨
意味という物語の中にいるうちは、「癒やされること」を目指しますが、この視座に立ったとき、そこには最初から「癒やすべき傷」も「解決すべき問題」も存在しません✨もちろん『癒される者』もです。
『ただ、静寂がある』
ただ、糸魚川翡翠の勾玉のように、『美しい生命の躍動』がある✨
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今夜、私は聖麻龍の守りの中で、糸魚川翡翠勾玉を手に眠ります✨身体の凝りも、痛みも、脳裏に焼き付いた光景も、無理に「良いこと」へと変換するエゴの小細工を止め、ただ如実(ありのまま)の重さとして受け入れます✨
意味づけという安心感を手放すことで初めて現れる「真実の平安」✨
明日の朝、世界が新しく塗り替えられるとき、私は解釈という防波堤を持たずに海辺に立っています✨波が高くとも、穏やかでも、空(くう)である私を揺らすことはできません✨物語の彼方にある絶対的な自由へ、何も欲しがらず、何も拒まない、その静寂そのものとして、新しい宇宙の呼吸を吸い込みます✨
みなさまの新しい一年が
真の自由へと繋がる一年となりますように😌🙏✨
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