1939年生まれの私は

1945年3月の東京大空襲で焼け出され

流れ流れて

1945年4月に茨城県稲敷郡の

「長竿村国民学校1年生」になりました。

村の誰かに赤紙が来ると

学校から

2列縦隊で停車場に向かい

出征する兵隊さんを送りに行きます。

チビの私はいつも先頭でした。

 

出征する兵隊さんは

みんなから

「生きて帰るな!」とか

「後顧の憂いなく…」とか

「挨拶は『いってまいります』ではなく

『行きます!』と言え!」とか…

みんなが

口々に言うのは

「生きて帰るな!」

 

私は兵隊さんを見ると

死ぬ姿しか目に浮かばなかった。

兵隊さんが列車に乗ると

みんなで「バンザイ」をします。

「バンザイ」「バンザイ」

「バンザーイッ!」

そして

日の丸の小旗を振って…

 

婦人部のオバサンが私の傍に来て云います

『「バンザイ」をしない子には「おにぎり」あげないよ』

私は「バンザイ」が出来なかった。

出征兵士を送った後で毎回

みんなに「おにぎり」が配られました。

お赤飯のおにぎりです!

「おにぎり」を持って帰ったときの

母の喜ぶ顔が目に浮かびました。

 

私は

「生きて帰るな!」と

「バンザイ!」が

どうしても結びつかなくて…

「バンザイ」はできなかった。

兵隊さんのお見送りのときはいつも

婦人部のオバサンが

代わるがわる私の傍へきて言った

『バンザイをしない子は「おにぎり」もらえないよ!』

 

私は断固

「バンザイ」をしなかった!

 

それでも

オバサン達は

帰り際に私にも「おにぎり」をくださいました。

「次はちゃんと「バンザイ」するんだよ!」と言いながら…。

私は返事もせずに、

お礼も言わずに、

黙って「おにぎり」をいただいた。

(「おにぎり」を貰う自分が悔しかった!)

オバサン達にとって私は

「可愛げのない厄介な子ども」だったにちがいない。

 

 

 

この話を聞いた友人は言いました

『生まれつき共産党だったのね!』

最近別のひとにこの話をしたときも言われました。

『生まれつき共産党だったんですね。』って。

 

でも

最近知り合った人に

こうも言われました

『あなたは共産党の顔をしていない』と

 

『はて…?』