【苦肉祭チャンネル】最後の特攻隊(2022/5/27)
先日、拝聴した「苦肉祭チャンネル」の動画で、初めて聞いた太平洋戦争関係の人物を知りました。
その方は、終戦の玉音放送が放送された「昭和20年8月15日」の翌日に割腹自殺された【大西瀧治郎】でした。その割腹自殺が尋常じゃないのですよ。
別名「特攻の父」と呼ばれており、上記動画の15分頃から触れています。夫亡き後の奥様の行動にも頭が下がります。
壮絶な最期を取り上げた記事と動画をご紹介します。
大西御夫妻と、戦場に散った英霊たちのご冥福をお祈りいたします~![]()
「これでよし 百万年の仮寝かな」――腹を切り、あふれる血の中で破顔しながら絶命した男の辞世(文春文庫より)
半藤一利の「戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び」より・・「特攻の父」と呼ばれる大西瀧次郎について。
軍令部次長大西瀧治郎(おおにしたきじろう)中将が自決したのは、昭和二十年八月十六日午前二時四十五分である。作法どおり腹を切り、頸と胸を刺したが、なお死ぬことができなかった。
急報でかけつけた軍医の姿を認め、大西はこのまま死なせてくれとばかりに手をふった。たしかに、腸のとびだしている状態ではたすかる見こみもなかった。
「死ぬときはできるだけ長く苦しんで死ぬ」と言っていた大西は、介錯も強く拒み、「これでいい、送り出した部下たちとの約束を果たすことができる」 と、あふれる血のなかで破顔しながら十数時間後に息を絶えた。
(※切腹の際に介錯するのは苦しまずに死ねるようにと)
★海軍中将 大西瀧治郎之墓(鶴見・総持寺)
遺書は二通。一通は長野に疎開中であった淑恵夫人に宛てたものであり、もう一通は、かれに見送られて十死零生の作戦に散った全特攻隊員に宛てたものであった。
(※遺書は本文にてお読みください)
終戦の天皇放送の流れるその直前まで、無条件降伏に反対し、全軍特攻を提唱し神州不滅を叫んでいた闘将とは思えないほどに、遺書には冷静な祈りが織りこまれている。
★知覧特攻平和会館
徹底抗戦の主張から一転し、ここでは軽挙妄動をつつしめという。生き残った若い人たちに「諸子は国の宝なり」とよびかけ、これからの日本建設そして世界平和のために、特攻隊のような自己犠牲の精神を発揮し最善を尽せよ、と大西は願っている。
国家のためとはいえ、非情な特攻攻撃でつぎつぎに生命を散らしていった隊員たちは、すべて若人である。国の宝であった。
その国の宝を体当り攻撃で送り出した痛恨の想いが、大西にこの遺書を書かせた。死に臨んで闘将大西は、何よりも平和を希んでいた、と言えるかもしれない。(一部転載)
(参考)
「できるだけ長く苦しんで」腸がとびだしあふれる血の中で破顔、10数時間後に息絶えた“特攻の父”(文春オンライン)
玉音放送の翌日に割腹した「特攻の父」とは対照的…「特攻」採択の責任者が放った「無責任な言葉」(現代ビジネス)
「特攻の父」大西瀧治郎 彼はなぜ特攻を行なったのか?
特攻の父・大西瀧治郎が遺した壮絶な最期と平和への祈り





