【宿命】血は水よりも濃し~(2) | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

倉庫倒壊で実況見分始まる(9/8)

 

9月7日、山口県下関市で倉庫が倒壊し、3人が死傷した事故が起きました。死亡された方は社長の従兄弟です。地震による建物倒壊は何度も目にしていますが、倒壊の原因は経年劣化のようですね。

 

下関市というと、故・安倍晋三氏の選挙区(山口県第4区)にあたります。経年劣化と従兄弟ねぇ~ネガティブ

 

安倍氏の本当の従兄弟ではないけれど、従兄弟みたいな存在の〇〇氏は長くないかもしれませんよ。板垣情報だけではなく、8月の時点で守護靈さんから聞いております。

 

昨日、京都のOさんより貴重な記事を教えていただきました。長文なので詳細は元記事をお読みください~本

 

安倍首相がもう一人の祖父「安倍寛」のことを口にしない理由(8/26 週間ポスト)

 

安倍晋三氏(65)の口から、父方の祖父である「安倍寛(かん)」の名が語られることは少ない。安倍寛氏は、戦時中に反戦・反骨を貫いた政治家だった。

 

晋三は「政治家としてのルーツ」として母方の祖父・岸信介のことは折に触れて熱く語ってきた。

 

著書『美しい国へ』でも、岸との思い出が多く語られている。ところが、「昭和の吉田松陰」「今松陰」とも呼ばれたもう一人の祖父・寛については、ほとんど語ったことがない

 

 

安倍寛は角島の隣の旧日置村(現在は長門市油谷)で多くの田畑や山林を所有する地主(庄屋)の家に生まれ、戦前、日置村長や山口県議、衆院議員を歴任、1946年(昭和21年)1月に議員在職中のまま病気のため死去した。享年51。

 

地元の有力な郷土史家が匿名を条件に語ってくれた。

 

「安倍寛は東條英機に立ち向かった8人衆の1人で、山口の偉人としてもっと脚光を浴びてもいい人物です。しかし、以前に朝日新聞系の出版物で寛が取り上げられ、それを読んだ安倍総理が怒ったという話が伝わって、県内では歴史に残る人物としては扱われていない。研究者もいないし、地元のメディアも、首相への忖度でこの人物を取り上げるのはタブーになっている」

 

 

同姓の祖父の歴史上の足跡が消されようとしているというのである。父・晋太郎からも、祖父・寛の政治家としての覚悟や行動を聞かされて育ったはずである。

 

それなのに晋三は、「岸の孫」であることは強調しても、「寛の孫」であるとは決して口にしようとしない

 

 

タカ派政治家としての立場から、いわば「反戦リベラル」的な思想の持ち主だった寛を“政治的ルーツ”と認めたくないからだろうか。そうとは考えにくい。

 

なぜなら、冒頭で紹介したベテラン秘書の証言のように、晋三はまだ右も左も定まらない“政治家の卵”だった初出馬のときから、選挙戦で「安倍寛の孫」とアピールすることを拒否していたからだ。(引用終了)

 

 

安倍晋三氏が「祖父・安倍寛」のことを言いたがらないのは、父・晋太郎氏から「ご自分のルーツ」を聞いていたからでしょう。

 

以下の過去記事を未読の方は、是非、お読みになってください。「血は水よりも濃し」は次回も続きます。

 

李垠(リ・ギン)と梨本宮方子妃

 

李垠夫妻は、朝鮮に里帰りする直前、李晋を安倍寛氏(現在の山口県長門市)に預けます。つまり、朝鮮で急死した「李晋」はダミーだったということです

 

 

 

李晋は安倍晋太郎氏なんです。だから、自ら「私は朝鮮人だ~」と告白していたのです。李晋とは出生年が3年違いますね。(過去記事より引用)

 

★過去記事