古(いにしえ)の人は道のために道を求む。
今の人は名利のために求む。
名のために求むるは求道の志(こころざし)にあらず。
求道の志は己を忘るる道法(どうほう)なり。
【現代語訳】
昔の人は、道のために道を求めましたが、今の人は名利のために道を求めようとします。名利のために道を求めるのは、真の求道の志があってのことではありません。求道の志とは、おのれの一身をも忘れてひたすら悟りを求めるような心のあり方をいうのです。(『性霊集』巻第十)
この言葉は、密教経典などの借用を求めてきた最澄に対する空海の返書の中にあります。
求道の志は、あくまでも道のために道を求めるべきであって、決して名誉や名利のために道を求めるべきでないことを強調しています。
最澄が名誉や自分のために密教の教えを求めようとするなら、それは正しい求道の志とはいえない、正しい求道の志とは、自分や自分の立場などを全く忘れてしまって、ひたすら仏の悟り(この場合は密教の教え)の境地だけを求める心のあり方をいう、と空海は言いたいのです。
たとえ最澄が、真実を知りたいという素直な知識欲から新しい密教経典や論書の書写を願っているとしても、あるいは天台教学や叡山の学生のために経蔵を充実させたいという希望から借用を求めているとしても、空海には、その志は所詮、己の名利、自分や自分の立場のためとしか映らなかったようです。
それは己を忘れたあり方ではなく、そのような名目自体が己の欲望を満たすものしかないと、空海は考えているからです。(『日本人のこころの言葉・空海』)
【空海の言葉】迷いとは自分に迷っていること(2021/3/21)

3月21日は『春分の日』ですね。私もこれからお墓参りに行ってきます。
また、『弘法大師空海の御入定の日』でもありますので、久しぶりに『空海の言葉』を取り上げてみました。
◆動画2本
「高野山の法話・お彼岸の意味」と「神社チャンネル・奥之院レポート」です。羽賀さんが高野山を訪れたのは15年ぶりだそうですよ。では~![]()
【高野山の法話】~お彼岸の意味
【空海の聖域・高野山】~奥之院を歩く(神社Ch)


