【空海の言葉】心は環境によって変化する | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

 

 

それ境(きょう)は心(しん)に随(したが)いて変ず。

 

心(しん)垢(けが)るるときは則ち境濁る。

 

心は境を逐(お)いてうつる。

 

境(きょう)閑(しず)かなるときは

 

すなわち心朗(ほが)らかなり。

 

心境(しんきょう)冥会(みょうえ)にして、

 

道徳玄存(げんそん)す。

 

【現代語訳】

そもそも環境(対象)は心にしたがって変わるものです。心が汚れているときは環境も濁るものです。心は環境の変化にしたがって動いていくものです。環境が静かであるときは心も清らかになります。心と環境が知らず知らずのうちに合致すると、万物の根源である奥深い道理とその働きである徳とが不思議なことに存在することになります。

 

 

この言葉の核心は、心と環境(対象)とが合致すると、不思議なことに奥深く隠された万物の根源である道理とその優れた性質が姿をあらわし、存在することになるということにあります。清らかな地で修行していると、知らず知らずのうちに心も清らかとなり、釈迦や文殊菩薩などの悟りの境地に達し、森羅万象の優れた働きの原理が悟れるということを述べています。(略)

 

前半の心と環境との関係ですが、空海は、それらが互いに依存し必要とし合っている関係にあり、決して主観と対象というような切り離された相対的な関係にあるのではない、と考えていることがわかります。優れた悟りの境地は優れた清らかな環境の中でのみ得られる、ということでしょう。

 

 

「境」という語は、難しい言い方をすると、主観の対象一般、つまり知覚や意識の対象や現象をいいますが、この文脈では、「境」は修行の地を指しています。この言葉をもう少し一般化すると、空海は、心と対象あるいは現象との関係は互いに依存し合っており、そのような関係こそがこの世界の真理にほかならない、と考えていることがわかります。

 

たとえば、人間の生きている姿とは、あるいは生きる意味とは、人間を取り巻く様々な物や環境との関係からはじめて明らかになるのです。人間が生きている事実そのものからは、決して生や人生の積極的な意味が明かされることはないということです。

 

もちろんここでは、生や「いのち」の隠された意味をあらわす「真言」の深い意味を追求することによって、世界と人生の意味を明らかにしているわけではありませんが、後年、空海がいくつかの著書で展開した独自な真言密教の「哲学」の片鱗を見ることができます。(以降略)

(『日本人のこころの言葉・空海』より)

 

「ミロクの世の前に人心の荒廃が起きる」(2018/10/27)より

安全でクリーンな環境で育てられた現代人はトラブルにとても弱い。非常事態の際には、PTSD等の心的病気・障害になる人が大量に出る。

 

 

突然襲い掛かった人生のアクシデントを受け入れることが出来ず、政府のせいにしたり、陰謀のせいにしたり、他者を非難し憎悪することで心を安定させようとする人が沢山いる。フェイク(デマ)情報によって右往左往し、物資・食糧の欠乏が保身・排他を加速させる。非常事態には、こういう人心の乱れによる人災の方が恐ろしい。(引用終了)

 

台風15号によって甚大な被害となった千葉県では、停電、断水状態は解消しましたが、台風前の状態に戻るにはまだまだ時間を要します。他国ならばとっくの間に暴動・略奪が起きてもおかしくない状況ですが、日本人の辛抱強さなのか、「お天道様が見ているよ」なのか、今回の千葉県民の皆様には頭が下がります。もう少しの辛抱ですので頑張ってください~ハート

 

今回の「心は環境によって変化する」は、何も空海さんだけの言葉ではなく、仏教にはもともと『依正不二(えしょうふに)』という言葉がありまして、依報(えほう)は国土、環境を意味し、正報(しょうほう)は我々の心身を意味します。それらは別々のものではなく、不二(二つにあらず)であるという意味です。これからも、依正不二の修行は続くことになるでしょう。

 

 

さて、明日から「京都&奈良の旅」に出かけますが、今回は主人がお留守番することになり、京都市のOさん、沖縄県のXさん、岡山県のAさんと共に計4名の旅になります。29日か30日には、「見えない糸に導かれて~vol.4」をアップして今月は終わりになりますが、長らくお待たせしておりました京都市のOさんの奥之院での体験談です。後で分かったことなのですが、「~vol.5」に続く体験だったのです。お楽しみに~グラサンハート