【空海の言葉】生と死の実相を知るために | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

【地のエレメント】築地市場が83年の歴史に幕(2018/10/7)より

 

生れ生れ生れ生れて

 

生の始めに暗く、

 

死に死に死に死んで

 

死の終わりに冥(くら)し。

 

【現代語訳】

(迷いの世界に住する人は、自分が迷っていることに気がつかず、隠された真相が見えない人は、自分の見ているものがすべてであると確信しているために)生まれ生まれ生まれ生まれても生の始めが何であるかも知らず、死に死に死に死んでも死の終わりがどのようになるかも知らない(『秘蔵宝鑰』巻上)

 

 

この言葉は、『秘蔵宝鑰』序の冒頭、「悠悠たり悠悠たり太(はなは)だ悠悠たり」で始まる詩文の最後の二句です。意味は、迷える世界に住んでいる者は、生と死の現実にとらわれて、そもそもの生の始めと死の終わりについて全く無知であり、生と死の因縁を信じることがない、ということです。

 

空海は、この『秘蔵宝鑰』を、事実を事実として見ることのできない人々の無知さ、生死の実相をしっかりと見据えない弱さ、幻のような現実を追いかけている愚かさなどを治療するために書いています。ですから冒頭で、凡夫衆生の無知(無明)性を強調しているのは、その無知性のゆえに凡夫衆生のあり方を否定するためではありません。わが心中に仏性を持っている人々の無知の根拠は、実は己の心中に仏性があるとは思っていないからであり、そのことに気づかせようとして述べているのです。

 

【空海の言葉】天も地獄も心がつくっている(7/14)より

 

『秘蔵宝鑰』三巻と、地獄界から仏界までの心のあり方を第一から第十まで分けた『十住心』は、空海密教を代表する思想です。空海は62歳で入定しているので、この57歳の時の著述には、空海の完成した思想が語られていると見ることができます。この思想は二つの主張を持っています。

 

★第一の主張

動物以下の「第一住心」、人間の道徳心である「第二住心」、天に生まれることを願う「第三住心」、自分だけの悟りを求める「第四・第五住心」、他人の救済を求める「第六・第七住心」、一切衆生の成仏を説く「第八・第九住心」と順次に高次な悟りの心へと階梯(かいてい)を昇っていき、最後の最高の仏心である「第十秘密荘厳心」に至る心の展開を述べていることです。

 

★第二の主張

すべての住心(心のあり方)は、仏心のあらわれに他ならないとする全体的包括的な思想です。

 

【空海の言葉】生死は輪廻するもの(8/6)より

 

この二つの主張は、『十住心論』にも『秘蔵宝鑰』にもあります。両書はほとんど同時期に著されたためか、空海は、『十住心』そのものについては、特に差違を認めるような説き方はしていません。しかし、『十住心』の意味づけは両書では明らかに異なっています。

 

『十住心論』は、序で「地獄・天界」、「煩悩・菩提」、「生死・涅槃」、「二乗・一乗」などの言葉は、すべて人間に本来備わっている仏心の多様なあらわれを示す概念である、と述べています。この視点からすると、本来、一切の心のあり方は仏心であることになります。これは明らかに、地獄界の心から仏界の心に至るまで、その心性の本質は同一であり平等である、と見ていることです。

 

それに対して『秘蔵宝鑰』では、第一から第九までの九つの心のあり方は、第十住心の仏心という到達点の原因に他ならないと規定しています。つまり、仏心である「第十秘密荘厳心」の成立には、第一から第九までのそれぞれの心のあり方が契機として必要であると説いているのです。ですから、動物以下の「第一住心」にも、仏心を成立させる価値が認められていることがわかります。(『日本人のこころの言葉・空海』)

 

(過去記事) 

【空海の言葉】生あるものは必ず滅びる(7/10)

【空海の言葉】わたしたちの心は仏心である(7/29)

 

 

(追記) 一旦、「空海の言葉シリーズ」をお休みして、孔雀明王の呪法を会得した修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)についての記事を数回に分けて連載します。お楽しみに~ふんわり風船星