◆ 脈打つ『シャーマン』の血
舒明天皇6年(634)の生まれとされる役小角(えんのおづね)は、正式には「賀茂役君小角(かものえだちのきみおづね)」という。古くから葛城地方に大きく根を張った名族・賀茂一族の、なかでも特別な『役(えだち)』を受け持っていた家系の生まれで、その名は小角・・・という意味である。
賀茂氏を筆頭とする葛城の民の歴史は古く、大和朝廷にも一目置かせる存在だった。そんな彼らを守護してきたのが葛木山の神である。はるか縄文の昔からこの地に住まう葛木の山の神は、神託を下して人々を導き、その予言で村を救い、うやまう人々の願いを聴いて天変地異の災厄をやわらげた。その呪力をもって敵対する勢力を懲らしめもしてくれた。
(※葛木山は入力間違いではありません)
(※ 葛城公園から見た葛城山の風景)
賀茂一族は、古代葛城の支配者の務めとして、その葛木山の神事を司ってきた。そんな賀茂氏の神事の中で、葛木の山の神の予言や神託を直接あずかる『役』を担っていたのが、一族の中の小角の家系だったのだ。さらには、病気を治療したり、田畑への野獣の害を防いだりする呪術にも優れていた。
つまり、小角の身体の中には、私たちの祖先が神々と直接的な交流を保っていたはるかな古代、神々のもっとも近くにあった『シャーマン』の血が脈打っていたのである。
だが、小角の若き日、葛城賀茂氏の栄光はすでに過去のものだった。この国の土着の神々より、より強力な霊威を持つとして仏教が伝えられてすでに100年余(仏教の公伝は538年)。この飛鳥時代、聖徳太子の尽力などもあって、仏教文化が花と開いた時代であった。
飛鳥大仏(飛鳥寺)
さて、小角はといえば、幼き頃よりその才を現し始めていた。3歳にして字を書くことを覚え、4、5歳のころには泥をこねて仏像をつくっていたという。当時誰に教わるでもなく梵字(サンスクリット語の文字)を書いて、ときの学僧を驚倒させてもいる。そのような天賦の才能は、8歳にして奈良の官学に入校してからも大いに発揮された。
「小角8歳のとき、奈良の京に入り儒教を学ぶ。一を聞いて十を知る。まことに是れ孔宣と謂う可きか・・・」(役行者顛末秘蔵記)
加えて、種々の知識階級との交わりの中で、神道方面の知識を養い、また家庭にあっては、不動明王その他の真言を誦していたという。このことは、『役』を担う家にあって、縁者に、当主葛城の君の弟で仏門に入った僧がいたことが深く関係していると思われる。
ともあれ、「シャーマン」としての血脈、そして強力な霊力を持つとされた仏教の知識、これらが幼少の小角にすでに備わっていたことは注目に価するだろう。
(『密教の本~驚くべき秘儀・修法の世界』)より



