慈尊院
大師の御母公(玉依御前)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた。
御本尊の弥勒仏坐像(21年に1回御開帳)
承知二年二月五日に、御母公が入滅された時に大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立して、自作の弥勒仏と御母君公の霊を安置された。慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、これより表向きに「慈尊院」と呼ばれるようになりました。(慈尊院HPより)
【熊野・高野山の旅】丹生都比売神社編②(2017/9/13)より
16日関空でレンタカーを借りて、最初に向かった先は「慈尊院」「丹生官省符神社」でした。いずれも、昨秋の「ブラタモリ#82高野山」で放送されました。
(過去記事)ブラタモリ、3週連続で高野山特集(2017/9/9)
高野山案内犬【ゴンの碑】
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。(続きはこちらで)
慈尊院の境内には「高野山案内犬ゴンの碑」があります。お隣には弘法大師像ですね。空海さんと犬は関係が深く、唐から帰国し、日本に向けて投げた三鈷杵を探しにこの辺りを歩いていると、1人の漁師が犬を2頭連れてやってきたのです。結果的に、この漁師は狩場明神だったと云われています。(一応伝説ですけどね)
【熊野・高野山の旅】丹生都比売神社編①(2017/9/12)より
さて、ブラタモリで取り上げられた町石道ですが、根本大塔までの町石道(約20キロ)の出発点は慈尊院からです。1町石から始まるのではなく、180町石から始まります。撮影してきました。
慈尊院は町石道の出発点(180町石)
こちらは番組内で放送された180町石
九度山町から高野山へと続く道程で、弘法大師が、高野山へお参りになる方々のために山上の根本大塔から慈尊院までの一町(109m)毎に木製の卒塔婆(そとうば)が建てられて、真言宗のお教をあらわす仏様の姿を塔婆をもって象徴され、高野山の本街道の道標とされました。後、鎌倉時代に現在のような御影石の五輪型卒都婆に建てられました。
町石は大塔まで180本。大塔から奥の院まで36本、その他里石が4本。慈尊院は出発点で一町(109m)登っていく毎に卒塔婆石が残り、カウントダウンしていく第一番目の180の町石があり、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道として知られています。(慈尊院HPより引用)
丹生官省符神社(一ノ鳥居)
慈尊院の境内奥に、丹生官省符神社へ続く石段があります。それほど段数は多くありません。
二ノ鳥居
拝殿
拝殿の左横には狩場明神と空海の出会い図
拝殿の裏です。壇上伽藍の御社、丹生都比売神社と似ています
(過去記事)【熊野・高野山の旅】高野山編②(2017/9/10)
179町石
そして、拝殿右横にあります坂道を下っていきますと、179町石があります。町石道を歩いて高野山まで行く気にはなりませんが、昔の人々の厚い信仰心の一端を垣間見た想いがいたしました。
(参考) 世界遺産・丹生官省符神社公式HP














