【兵庫・丹後の旅】『清水』が頻繁に出てきた理由② | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

天橋立(傘松公園・5/14撮影)

 

冠島沓島遥拝所神戸高専写真部ブログより拝借)

 

展望台の端にあり、元伊勢籠神社の奥宮で、彦火明命と市杵嶋姫命を祀っています。(下図は5/14撮影)

 

14日午前中に元伊勢三社参拝を済ませた一行は、宮津市を目指します。当初の予定どおりに、籠神社、真名井神社、傘松公園から天橋立を展望。

 

この時、冠島沓島遥拝所は目にしたのですが、どういう意味なのかよく分かりませんでした。昨夜その意味の全貌を理解した次第です。

 

「みろく殿」で展示されていた年代物の竹筒が目に止まり、館内は撮影禁止なのですが、説明書きと共に写メしてきました。(チクらないでね~W)

 

帰ってきてからゆっくり読んでみたところ、元伊勢の天岩戸神社と関係あるではありませんか!喉が渇いて飲んだ手水舎のお水、産釜、産だらいがあった産釜遥拝所は、単なる安産祈願所ではなかったのです。

 

また、天岩戸神社のご由緒には「真名井」という文言がありますが、真名井神社、真名井の滝(宮崎県)にもつながります。

 

また、25日の「気になることには意味がある(19)」でご紹介しました「天神、宮崎、水元、22、高砂、神野」という出来過ぎともいえるワードにも繋がります。ここ最近、頻繁に「清水」というワードが出てきた意味を理解した瞬間でした。ニコニコ

 

なお、これよりの本文は、大本信徒連合会HP、写メした説明書きからミックスしていること、出口なお等の敬称は過剰な表現を避けておりますのでご了承ください。

 

【元伊勢お水のご用】に使用された竹筒

 

明治34年4月21日(旧3月3日)、元伊勢の産だらい、産釜の『水晶のお水』を汲み上げて、梅松苑の『金明水』・『銀明水』井戸などに注いだ竹筒です。(説明書き)

 

元屋敷(出口家の元屋敷)の東側にある『金明水』の井戸

 

 

≪元伊勢お水のご用≫

岩戸を開いて、元伊勢のウブガマのウブダライの御ン水は、昔からチツトも変らん水晶のその御ン水を、世の立替について、明治三十四年の三月の八日に、世界の水は一平に泥水であるから、其の泥水(どろうみ)の中に住みて居る人民、段々一年増しに、今表面(うへ)から見ては何とも無いが、モウ表面も飾られん世に成るし、まだまだ強い者勝ちに成るぞよ。
 

夫れで水晶の御ン水を頂きて、綾部の邸の内には、その結構な御水で、身魂の洗濯を日々致して居るのじやぞよ。女島(めしま)と男島(おしま)との間にも、此の御水を少し滌(そそ)いであるが、此の御水が世界中へ廻(めぐ)りたらボツボツと大望(たいまう)を始めると申して在るが、モウ廻りたから、是からは世界に何が在らうやら知れんぞよ。『大本神諭』 明治三十六年旧五月十九日

 

明治34年4月26日(旧3月8日)、国祖 国常立尊の神示に従って、開祖出口なお、出口王仁三郎、出口すみ子(二代教主)一行42名は丹後の元伊勢内宮・外宮に参拝。

 

前記事より

 

「世界を一つに致す経綸の御用」のため、宮川(五十鈴川)のほとりにある産釜・産だらいの岩穴より、神代の昔から汲まれたことのないという清水、「生粋の水晶のお水」をいただいて帰った。ご神水は綾部の聖地の井戸(金明水・銀明水など)に注がれた。

(参考) 大本信徒連合会HP

 

 

≪出雲火のご用≫

元伊勢のうぶのお水で、世界の泥を澄ますのであるから、水は元伊勢、火は出雲、水と火とで世界にはきびしきことがあるよって、世界の人民の身魂の洗濯いたさんと、きびしきことがはじまるぞよ。『大本神諭』 明治三十七年旧二月十日

 

『元伊勢水の御用』から約2ヶ月後の明治34年7月1日(旧5月16日)、開祖出口なお、出口王仁三郎、出口すみ子(二代教主)ら一行15名は徒歩で綾部を出発し、山陰道を北西に進み、遠く出雲大社を目指す旅に出た。7月12日一行は出雲大社参拝を果たした。

出雲大社側の了解を得、『消えずの火』『瑞垣内の清砂(社殿床下のお土)、拝殿横の『御饌井(みけい)の真清水』が神官から一行に手渡された。

 

綾部に帰ると神火を点じて祭典を行い、その後は火番を置いて100日間灯され、神示に従って15本のろうそくに移して天に返された。お土は、開祖の命によって綾部の大本を中心に広範囲に撒布され、「宮屋敷とり」がなされた。

 

お水は、神苑の井戸「金明水」に差し入れられた後、残りを金明水の水と合わせて、次項の≪大海原をめぐったお水≫に続く。

(参考)大本信徒連合会

 

 

≪大海原をめぐったお水≫

『出雲大社の御饌井の真清水』『元伊勢のお水』は、大本の井戸などに差し入れられた。この井戸は王仁三郎によって「金明水」と名付けられた。

 

7月25日、開祖出口なお、出口王仁三郎、出口すみ子、その他信徒を入れた68人が沓島に参拝する。

 

出口なおは「元伊勢のお水と出雲のお水と龍宮館の金明水と一緒にして龍神さまにお供えする」と述べ、釣鐘岩の頂上から、艮の金神(国常立尊)御隠退の地である沓島と冠島の間の龍宮海に注ぎ入れられた。

 

その折、「この水が3年経てば世界中に回るから、そうしたら世界が動き出す」と述べた。その言葉通り、3年後の明治37年2月、日露戦争が始まり、世界史が大きく動き始めた。

 

元伊勢の「水晶のお水」と、出雲の「消えずの火」

 

昔より汚されたことのない火と水とにより、乱れ果てた世を立替え立直す大潔斎の「型」を出されたのが、「元伊勢水の御用」と「出雲火の御用」であった。(以上)