宇宙船 天空に満つる日(11) | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

エクアドル
        赤道記念碑(エクアドル)

≪赤道記念碑≫

エクアドルの首都キトは、赤道直下にありながら、標高2850Mの高地にある。キト市街から北へ20数キロメートル行った地点に「赤道記念碑」がある。すなわち、地球の赤道が通過している緯度0度0分0秒の地点である。

1735年、パリの科学者たちが集まり、地球の正確な形について議論がかわされた。探検隊2隊が結成され、一隊は北極に、一隊はエクアドルで赤道ラインを算出し、そこにピラミッド型の記念碑を建てた。現在の記念碑は20世紀になって正確に測定した地点に建てられたものである。

そもそも、エクアドルという国名は、スペイン語で「赤道」を意味する言葉である。実は、宇宙人によると、この地はある意味で本当の「世界の中心」なのである。すなわち、私たちにこの地が「地球の地軸の基」の地であると語ったのだ。

淡路島-06


≪波動(バイブレーション)の要石≫

「地球の地軸の基」とは、どういう意味であろうか? 地球の物理的地軸の意味もあるが、もっと深い意味もあるのである。

宇宙創造神が、魂の学びの場としての遊星を創られる時、その遊星には、大切な役割を担う、中心というべきポイントが必ず設けられる。そのポイントのことを、宇宙人は「湧玉の地」と語った。

「湧玉の地」は、そこから宇宙創造神の創造力のすべてが湧き上がる「創造の中心の地」であり、この地球においては日本にある。(湧玉の地の場所に日本ができたということ)

「地軸の基の地」も「湧玉の地」に劣らぬ重要性を秘めた地点なのである。すなわち、「湧玉の地」が、惑星自身と全生命を生み出す地点であるのに対し「地軸の基の地」は、惑星自身と、その上に創造された全生命の波動を、ある段階に安定させる、いわば「要石」のような役割を果たす地点なのである。

色々な魂が輪廻転生を通じてお互いに磨き合い、学んでいくためには「同一レベル」の波動で現象的表現をとる、というのがどうしても必要になるということである。そのための「要石」の役割をしているのが、エクアドルの「赤道記念碑」なのである。

≪エクアドルの儀式≫

「神の儀式」は、遊星における二つの重要なポイントを中心に行われる。最初に「湧玉の地:日本」で、「湧玉の儀式」が行われ、様々な経過を経て最後に「地軸の基の地:エクアドル」で、「エクアドルの儀式」が行われる。

湧玉の儀式・・新しい遊星(学びの場)と全生命が、新次元の波動をもって湧き上がる。

エクアドルの儀式・・今までの古い波動の次元で創造された一切のものを消し去る。


新しい世界が創造されても、地球人の意識がいつまでも古い世にしがみついていては新しく創造された世界は現れてこない。「エクアドルの儀式」は、「古い世の一切を手放し新しい世をいただきます。」という地球人の側からの宣言である。これによって、「神の儀式」の全プロセスは完結する。

この儀式によって古い波動の一切のものを手放す宣言がされると、古い波動を安定させていた要石ははずされ、古い一切のものが消滅していくプロセスに入る。そして最後に、地軸そのものが大転換して、新しい段階の波動で、再び安定するのである。

≪光と影の対峙≫

今回の地球では、「エクアドルの儀式」は日本の地で1回、現地では7回行われた。(最後に行われたのは1991年8月である。)

地球には、目に見えない内奥の世界があり、その上に霊界・幽界・現象界がある。その全ての世界で、「湧玉の儀式」と「エクアドルの儀式」が行われた。

「エクアドルの儀式」は、また、サタンとの最後の対決の場でもある。

新しい世界の本当の姿は、現代人が勝手に思い描いているような未来像ではない。ハイテクを駆使した様々な機械類に取り囲まれ、額に汗して働くこともなく科学の発達によって食糧も資源もエネルギーも無限に手に入るユートピア・・。これは、まさに古いバージョンの延長線上でしかない。

新しい世の真の姿は、もっと素朴で、シンプルなものである。あなた方が思い描く物質的な豊かさとはおよそかけ離れた、古い世の目から見ればむしろ貧しいとさえいいうる世界である。

しかし、霊的、精神的な目からみると大変豊かな世界、これが新しい世の真の姿である。

神の姿にしてもその通りなのである。古い世の宗教的見地からすれば、神の姿は壮麗で美しく、堂々とした姿形に描かれることが多いが・・・これはルシファーの姿であり、真の神の姿ではない。

真の神は、素朴、簡素のうちにあり、ルシファーの威厳に慣れた目から見ると貧弱にさえ思える姿である。サタンは、この儀式の場に、大勢の手下を連れて堂々とした姿で登場し、「古い世との決別」を宣言したワンダラーに対して「君たちの信じている神も新しい世も、なんとも頼りない、貧弱なものではないか。本当の神は私である。我が元に来たれ!」と惑わすのである。(転載終了)

合気道


最後の「エクアドルの儀式」が行われたのが1991年ということですが、その後の1995年には「阪神淡路大震災」「地下鉄サリン事件」が起きています。

「ガイアの法則」でも触れていましたが、目に見える「人の世の崩壊」の起点だったのではないでしょうか?人為的、自然災害にかかわらずということは、著者も述べていました。この辺の解釈は左脳オンリーでは難しくなるかと思います。

私たちの人生でも様々な儀式がありますね。お宮参り、入学式、卒業式、入社式、成人式、結婚式、地鎮祭、上棟式、葬式、慰霊祭、開会式、閉会式、表彰式・・・etc

今回の儀式とは、ちょっと話は違いますが、武道、芸道には、ある決まった型があります。日本のそうした古くからの文化、伝統には「型」が大事にされてきたようです。型を通じで真理の探究をするという哲学が流れているようです。

古(いにしえ)の時代から決まっている「型」には、万人が認める「美」というものがあるようです。「黄金比」というのがありますが、「美しい」と思うものは時代を超えて不変なのでしょう。