縄文のこころ【ホツマツタエ】
日本には、紀元前一万年頃から紀元前三百年頃にかけて、世界にもまれな高度な精神性をもつ人々がつくり上げた素晴らしい縄文文明がありました。
ところが、私たちは、漢字が中国から導入される西暦200年以降に編集された古事記、日本書紀を起源とする歴史を習うものですから、縄文時代というのは古臭くて野蛮な人たちが狩猟採集によって生計を立てていたくらいにしか考えていないと思うのです。
漢字が導入される以前に、日本にはすでに「ヲシデ」という独自の文字で書かれた「ホツマツタエ」が編纂されていたこと、そしてこの縄文時代にすでに稲作も行われていたことが明らかになっています。それよりも何よりも、縄文時代ほど平和で精神性の高い文明は、世界広しといえどもかつて存在しなかったのではないかということが明らかになりつつあるのです。
日本人の特性そして美意識は縄文人の文化から始まっているのを強く感じます。縄文の人々を偲んで「ヲシデ」文字48音で構成されている「フトマニの図」と「あわの歌」をご紹介させていただきます。ちなみに“あ”は天、父を指し、“わ”は母、地を指すと言われています。 (転載終了)
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≪あわの歌≫をご紹介させていただきました。You Tubeで検索しますと何点か出てきますのでご覧になってください。
なぜこの歌を紹介したかと申しますと、「サムハラ神社奥の院参拝」「展望台」「不思議な大木」への見学?も終わり各人が下山いたしました。その中で最後に残った数人の中で、愛知県から参加されましたSさんが「奥の院祠前」と「大木の前」で≪あわの歌≫を密かに歌われていたのです。前夜にお願いしたのは覚えているのですが、彼女も全員の前では恥ずかしかったのでしょう。私も後からお聞きして「良かったなぁ~」と思いました。
その後、主人が金比羅神社に寄付した方の名前を記した石碑の裏にまわり、蛇を一匹見つけました。栃木県の女性は下りる石段の途中でも蛇を見つけたそうです。その後、愛知県のお二人は自由に出雲旅を続けたいと私たちと一応別れることになりました。(高速道路は同じですけどね)
残りの8人は17日の出雲大社まで同じ行動をとりますが、出雲大社参拝が終わった段階で岡山県のAさんと京都から参加のOさんと別れることになります。お二人は出雲大社から日御碕神社に向かい、須佐神社、奥出雲から岡山駅に向かったそうです。
その奥出雲は16日夜に京都のOさんとの会話で出てきたもので、私が松本清張の大ファンなものですから、「砂の器の鍵をにぎっているのが奥出雲なんですよ~。夫婦ふたり旅行ならば行きたいところですがね・・」と述べたものですから、興味を抱いて行ってみたらしいです。「砂の器」に関係なく奥出雲には何かありそうですよね~。
先ほど蛇二匹を発見した話をご紹介しましたが、奥出雲に行かれたお二人は道路上で死んでいる蛇を数匹発見されたそうです。0さん曰く「地震が起きるんじゃないかしら?」とつぶやかれたとか・・・その数時間後に鳥取で震度4の地震が発生しました。みなさん、予言者みたいです!(笑)
さて、この画像は何かおわかりになるでしょうか?18日鳥取空港でANAに預けた荷物の引換券です。私たち夫婦は鳥取~羽田~釧路と乗り継ぎして家路に向かいます。鳥取空港で引換券を受け取った時には気づかなかったのですが、釧路空港に着いて引換券の番号をみてビックリしました。(6は私の運命数です)
ちなみに羽田空港から搭乗した乗客の番号も見たのですが、それは【661】でしたね。鳥取空港から乗り継いだ乗客の荷物だけなのではないでしょうか?最後の最後まで【数霊】に驚かされた今回の旅でした。
※ 岡山編はこれにて終了します。出雲編まで3~4日お時間をください~。


