≪渦巻く光と影≫
私たちが、一般に「悪」というとき、それは「悪い人」「悪い行為」といった、きわめて具体的なイメージを常にともなっている。そして、このイメージは立場の変化によって大きく変わるものなのだ。
たとえば、湾岸戦争で、先進諸国からこぞって「悪の権化」のようにののしられたイラクのフセイン大統領も、アラブ諸国では英雄視する人も多いという。また、ヒトラーにしても、彼があれだけ残虐なことをやれたのも、当時の民衆に彼を熱烈に支持する人がたくさんいたからではないだろうか。
ひるがえって、私たち一人一人の心の中をのぞいてみよう。
私たちの心の中には、良い思いも、悪い思いも、色々な思いが渦巻いている。仮に良い思いを「光」、悪い思いを「影」と呼ぶことにすると、私たちの心の中には光と影が渦巻き、刻々と映像が変化していく映画のようなものである。
しかし、私たちは一般的に、光の部分に対しては気持ちよく感じるが、影の部分は不快に感ずる傾向がある。そして、自分の心の中で影の部分がどんどん大きくなってくると、これを自分の心の外へ追い出したいという衝動を感じるようになる。
そこに登場するのが、一般的に「悪人」と呼ばれる人たちなのである。
心の中の影の思いは、これら「悪人」と呼ばれる人々に投影され、私たちは自分の心の中の影の部分を、まるで他人がそれを体現しているかのように、自分の外に対象化して眺めることができるようになる。
自分の心の中の「影」と対決し、それを解決していくことは中々難しいことであるが、一旦それを「悪」として他の誰かに投影してしまえば、それと対決することははるかに楽になる。
・・というのは、自分の中の影と対決することは、人間の持っている、生物としての自己保存本能に反するように見えるからであるが、一旦それを外へ追い出して対象化してしまえば、自らは傷つくことはなく、その「悪」を担った者を攻撃すれば済むことだからである。こういう心の働きは、実は、我々地球人類の心の発達が、まだいかに幼い段階にあるかということを、はっきりと示すものである。
・・というのは、自分の心の中に生じる光の思いも影の思いも、全ては自分自身の「自由意志」により生じてきたものであり、それを解いていくことも、全ては自分の責任として、自分で行っていくことが、この宇宙の本来のあり方だからである。そして、全てを自分の責任として解くことにより、魂は次の段階へと上昇する。
しかし、創造神より自由意志というものをもらったばかりの我々地球人類の心は、まだこの真理を理解できるレベルにはなく、自分の心のうちに湧く光の思いは喜んで受け入れるが、影の部分は忌み嫌い、自分の外へ追い出して「悪」として対象化しようとした。
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心の中にある「影」には形はないが、心の外へ追い出された「悪」は形をとる。
「悪」は「悪い人」「悪い物」「悪い行為」といった具体的な形をまとって、私たちの目の前に現れ、残虐の限りをつくすようになるのだ。
心の中にある「影」の段階で、勇気を持ってこれと対決し、解いておけば、影が形となることはなく、悪も生じない。しかし、いったん影を心の外へ追い出してしまうと、それは「強力な悪」という形をとり、人類の幼い心ではどうにもコントロールのできない怪物と化して、逆に人類に襲いかかってくるのである。



