(本文と直接関係はありません)
≪50人の決死隊≫
二度にわたる爆発にもかかわらず、かろうじて新崎原発の免震重要棟と官邸とは、テレビ会議システムがつながっていた。
「・・いま7号機の格納容器も爆発したみたいです。残留していた所員は、瓦礫の処理と電源の復活に出払っていたのですが、この状況だと、おそらくもう全滅ではないかと・・」
テレビの映像越しに見る新崎原発の免震重要棟の緊急時対策室には、もうほとんど人影が映っていない。落城前の天守閣のようだ。
「ぐぇ、ぐぼっ、げーっ」
画面上で突然、所長代理が、免震重要棟の緊急時対策室で嘔吐を始めた。ずっと何も食べていなかったのだろう。黄色い胃液が血に混じっている。画面越しに、酸っぱい臭いが、官邸のオペレーションルームにも漂ってくるようだ。
新崎原発のリアルタイムのモニタリングデータは、1シーベルトという驚異的な値に跳ね上がっていた。プールにある使用済み核燃料が、爆風とともに吹き飛ばされた結果であった。
「申し訳ありません。もう私たちに、この現場においてできることはありません。私は、命ある限り、ここで原発を見届けます。とにかく、警察でも、消防でも、自衛隊でも、米軍でも、何でもかまいません。国家の総力を挙げて、こやつを抑え込んでください!」
所長代理の黄ばんだ顔には、死相が現れている。しかし死相が現れているのは、総理も同じであった。再登板から3年を超え、日々の激務に加え、外遊の疲れが蓄積していた。外遊は本人が望んだというよりも、夫人の咲恵の希望と外務省の希望との最大公約数の結果であった。
3年間の外遊による度重なる疲労が極限に達したところに、今回の事故だ・・目の下には隈(くま)ができ、顔のしわはより深くなり、皮膚は黄ばんで、ところどころシミが現れている。疲れたときに現れるアトピーも再発していた。そして、持病がある胃腸の調子もよくない。
おまけに昨夜は悪夢にうなされていた・・。昨夜は、2時間だけ総理官邸に戻って仮眠をとった。そのときに、どこかで見覚えのあるやんごとなき高貴な方が枕元に立つ気配がしたのである。
「八百万の神が与えしこの清らかな我が国土を汚したもうたのは誰ぞ」という御声が聞こえたのだ。。。
よく総理官邸に幽霊が出るというときに引き合いに出される、ザック、ザック、という軍靴の音ではない。どこかで聞き覚えのある、やんごとなき高貴な御声なのだ。そうして目を覚まし、電気を点けると、そこには誰もいない・・・。
咲恵夫人からは、「疲れているからよ」と慰められた。しかし、前回の政権末期のように、ノイローゼになりつつあるのかもしれない。このように満身創痍の総理であった。それでも、「国家の総力を挙げて」という所長代理の言葉が、総理の琴線に触れた。
政治家四世の血筋で、父や祖父に比べて勉強の出来が悪く、その劣等感の裏返しとして、周辺諸国に必要以上に虚勢を張る夜郎自大的な総理にとっては、人生最大の踏ん張りどころであったかもしれない。
・・こうして躁状態のへのスウィッチが入った。平常時には紳士的な総理が、椅子を蹴って立ち上がった。そして、ドーンと机を叩いて、髪を振り乱しながら絶叫した。
「所長代理、あとはお任せください!原子力災害対策本部長として、そして、日本国の最高司令官として、我が国の威信にかけて、6号機、7号機を鎮圧します!」
「江藤防衛大臣、ただちに、自衛隊の総力を挙げて、新崎原発の鎮圧に向かってください。自衛隊の犠牲はやむを得ません」総理の目は、かっと見開かれたままだ。
「・・それから山屋国家公安委員長、警察も、NBCテロ対応専門部隊や機動隊高圧放水車を派遣して、鎮圧に当たってください」総理は何かに取り憑かれたようだ。
「高井総務大臣、消防庁長官に命じて全国の市町村消防から優秀な部隊を選抜して、放水車を現地に!」「多田国土交通大臣、海上保安庁から特殊警備隊を派遣してください。それから、大手ゼネコンにスラリーの製造装置と生コン圧送機を現地に運ばせてください。スラリーの材料も悪れないように!」
スラリーとは、砂と水を混ぜた泥である。これをむき出しになった炉心やプールに流し込むのだ。チェルノブイリ原発では、石棺をつくって事故を収束させたが、それと同じことである。
日村がしたためたメモを、横から総理秘書官が加部総理に手渡した。加部総理は一瞬戸惑い、そしてそのまま力強く読み上げた。事前には聞かされていないようだった。
「・・それから、汐垣厚生労働大臣、被爆限度の引き上げを本日、直ちに実施してください。有識者に諮るのは後伺いで構いません。差し当たり、住民の被爆限度を年20ミリシーベルトに、作業員の被爆限度を年50ミリシーベルトから年500ミリシーベルトに変更してください。さらに、必要に応じ限度を上げていってください!」
これから反転攻勢だ。加部は生涯最高の興奮を味わっていた。最高司令官として我が国が守っている自らの全身に、電流とアドレナリンが同時に駆け巡っていた。
(次回へつづく)


