≪50人の決死隊≫
ガソリン不足も新崎県全域を襲った。車社会の新崎県では、普通の住民の給油は、平常時はだいたい週に一度のペースだ。それが元日の朝から一斉にガソリンスタンドに客が押し寄せた。誰しも、できるだけ遠くに避難するために満タンにする。早い者勝ちの世界だった。
6号機の格納容器が爆発する前に、既に県内のガソリンスタンドでは、製品のほとんどが売り切れになっていた。わずかに残るガソリンスタンドは、価格表示のパネルにガムテープで桁(けた)をひとつ追加して、リッター1000円で販売していた。
どの時代も、パニックに便乗して客の足元を見る悪徳業者がいる。石油ショック時のトイレットペーパーしかり、しかも、原発事故という過酷な状況下での販売であれば、売る方も命がけである。それが適正価格かどうか、誰にもわからなかった。(略)
経産大臣には、新崎県のパニック下でガソリンがどのように売られているか、そもそも知る由もなかったから、石油需給適正化法に基づく指示など出しようもなかった。国民生活安定緊急措置法についても、そもそも政府は、この法律の対象となる物品を政令で定めていなかった。したがって、ガソリンの特定標準価格を定めようにも定めようがなく、業者は吹っかけ放題だった。
結果として、弱い者が出遅れ、仮に避難の車が手配できたとしても、ガス欠で幹線道路の路肩に自動車ごと取り残されることになった。路肩で、家族全員が嘔吐のうえ窒息死している自動車や、家族全員が凍死している自動車が、いくつも並ぶことになったのだ。
(参考)
石油需給適正化法
1973年(昭和48年)に制定された法律。日本への石油の大幅な供給不足が生ずる場合において、国民生活の安定と国民経済の円滑な運営を図るため、石油の適正な供給を確保し、及び石油の使用を節減するための措置を講ずることにより、石油の需給を適正化することを目的としている。
国民生活安定緊急措置法
物価の高騰その他の日本経済の異常な事態に対処するため、国民生活との関連性が高い物資及び国民経済上重要な物資の価格及び需給の調整等に関する緊急措置を定め、国民生活の安定と国民経済の円滑な運営を確保することを目的として1973年(昭和48年)に制定された法律である。
(次回へつづく)
