今朝イギリスの家を出たところで道を聞かれた。
こちらではよく道を聞かれる。
南イタリアではほとんど道を聞かれない。
これ、単純なことのようで
結構単純ではない。
見るからに白人でなく
伝統的なアングロサクソン系ではない私が
道を知っているだろうと思うか、思わないか。
「あ、でもアジア人っぽいから
この辺に住んでいるのではなくて
たまたま通りかかっただけかも。
道なんて聞いてもわからないかも。
あ、その前に英語わかるのかしら」とか
考えずに、
ただその辺を歩いている人だから
道を聞いてみる。
それだけのことなんだけど、
そこには
「アジア人もコミュニティの中に住人として住んでいる」ことを
当たり前に受け止めている社会があると思う。
たとえば日本のどこかの駅で
誰かに道を聞こうと思った場合
一番近くにいる人が日本人じゃない見かけだったら
その人を避けて他の人に聞きませんか。
その辺り、日本っていうのはまだ「日本人」であって
しかも「日本人ぽく見える」人たちのための
社会だってことなのかな、と思う。
以前にカナダのインターネットカフェにいたら
フランス語で「これどうやるの?」って
隣にいた人に聞かれたことがあって
「おお、この人、私が観光客だとか
日本人ぽいとか考えずに
普通に話しかけるなー」と思ったこともあったな。
国際交流とか、相互理解とか、
グローバルコミュニケーションとかって
そのために講演会とかセミナーとかやるようなことじゃなくて
そんな風にさ、どうやって気楽に隣にいる人に
話しかけるか、ってことにあるんだと思うよ。