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太宰治

 

作家】太宰治(1909.06.19~1948.06.13)

本名 津島修治(つしましゅうじ)

生年月日 1909年6月19日生~1948年6月13日没

青森県北津軽郡金木村(現:五所川原市)の県下有数の大地主の第十子六男として生まれる。

 

Birth Number

17-8.

Destiny

6

Soul

10-1.

Personality

5

Realization

14-5.

Stage

4


 

 

 

●【Birth】誕生数 17-8

情熱的で洞察力があり現実的。カリスマ性があり地位や名誉を大事に思う、とてもパワフルな組織的なナンバーです。

ですが、悩み深く、衝動的で利己的、反権威主義、自己制御力の欠如のような部分も併せ持っています。

太宰にとって富と権勢の「津島家」は、家族や家庭というより「絶対的な支配者(父や兄)の元での裕福な小社会(組織)」であり、それ故に本当の社会に接するとき葛藤が起こり自分の生と将来の存在価値を疑い悩みが多かったようです。

17のキーワードの自己信頼。太宰の人生にとってかなり大きな課題であったと思います。

また金銭面については、29歳の結婚を機に自分で稼けるようになっていきます。

 

14歳の頃に井伏鱒二氏の「幽閉」を読んで深く感銘した太宰は、ずば抜けた文才を生かして「感銘した」という想いだけで終わらせるのではなく、小説やエッセイを書き始めます。

そして16歳の頃より、文学仲間を糾合して同人誌「蜃気楼」の編集兼発行人を務めます。

情熱や実行力、リーダーシップ、自分が中心となり人を集めての同人誌運営などの組織的なところ等、8の持つ特性が出ているのではないでしょうか。

 

 

●【Destiny】運命数 6

6は調和、美・善・真

人間関係、恋愛、特に家族からの学びのナンバーといわれています。

太宰の父親は仕事で忙しく母親は病弱なため、乳母や叔母、女中に育てられたため

親の愛を知らない少年だったようです。

6は相手を通して鏡にして、愛や人間関係を学ぶものだと思います。

幼少期にそれを学ぶことができなかった彼は、自分の存在自体、あるがままを愛されるということを知らず、愛されたい気持ちが人一倍強かったのだと思います。誰かに自分が必要とされることで存在意味や価値をはかり、自分を否定されると猛烈に反撃しています。

彼が本当の自分を愛していない、信頼していないところからくるものだと思います。

 

懇意にしていた地方にいた芸妓さんに身請け話が出たとき、動揺して東京に呼び寄せたといいます。名家の息子が芸妓を呼び寄せたと郷里で騒ぎになり本家から除籍にまでなったそうです。愛されたい気持ちが強い太宰は、自分がしてほしいことを彼女にしたのではないでしょうか

 

●【Soul】ソウル数 10-1

内面性や価値観をあらわす数字です。

カルミックナンバーの10は、一般的に裕福なお家で育ち苦労が少ない人生なのにあるとき別の人生に向かう・・・再誕生のナンバー。

1で見た場合は、行動力があり、頭の回転が速く、リーダー気質、ピュアな心

幼少期は、勉強もできて持ち前の茶目っ気でクラスの中心人物で、級長になり人気者でした。

 

●【パーソナルナンバー】人格数 5

5の特徴として変化、自由、多才、話術にも長けていて、外見や中身両方で魅力的な人が多いナンバーです。

彼の写真やエピソードを見る限り、はやり生まれもった外見と才能のオーラとチョイ悪だけど憎めないキャラクターに魅了された人多数だったようです。

 

 

●【Realization】実現数14-5

14-5 14錬金から、二極の異なるものや人を上手く取り纏め融合し、変化のある自由な世界を切り開いていける人です。

そこから、カルミックナンバーの14、本当の自由とは何か?が課題となります。

 

 

 

 

 

 

~太宰治の人生年表~

 

太宰の人生での気になる大きな出来事をピックアップして、見てみたいと思います。

 

●【サイクルナンバー】どのようなことを学ぶ時期か ※没年が38歳のためここまで

 

★《0歳~28歳 ナンバー6》

人間関係や愛について学ぶ運命だったようです。

太宰は28歳までに4回自殺未遂しています。

それぞれ表面上の理由は違うようですが、人に愛されたいと思いながら、自分で自分を愛してない、自己信頼ができていないことが原因だったのではないかと思います。

★《29歳~46歳 ナンバー10-1》

10-1は、人間関係を学んだあとは、不必要なものはなくし気持ち新たに出発しましょう。目覚めのナンバーです。

また、カルミックナンバーである10は、ある時期まったく別の道へ進むことにもなる。とも言われています。

 

29歳のときに、井伏鱒二氏の紹介でお見合い結婚をすることになります。

この結婚を機に、何度も失敗した自殺未遂から立ち直ろうと新たな決心をしました。

精神的に安定した結果仕事も順調で、「走れメロス」「お釈迦草子」「富獄百景」「斜陽」「人間失格」などすばらしい作品を残す時期となります。

 

●【ピナクルナンバー】どんな状況の時期か

 

★《0~28歳 ナンバー7》

7は内省と探求のナンバー。色々なことを学んで知識・知性を深め、自分は何がしたいのか、何を求めているのか、しっかり考えなさい。ということ。

★《29歳~37歳 ナンバー2》

2は受容です。物事をそのまま受けいれ調和を大切に。協調性やバランスの大事さを学ぶ状況だったようです。

★《38歳~ ナンバー9》

9はドラマチックなナンバー。核が見つからないと、グラグラ揺れてしまいます。精神的に成長しないといけない状況の時期。

 

【チャレンジナンバー】与えられた試練や今回の人生での課題

 

★《0~28歳 ナンバー5》

キーワードは自由と勇気。変わることを恐れないで勇気を持つこと。

★《29歳~37歳 ナンバー9》

9は不必要なものは手放し、本質を見抜いていくこと。そして変容。

自分の軸をしっかり持たないと、揺れてしまいます。

この時期、いかに見極めていけるか。

変わりたいけど変われない。

変わるにはエゴを捨てなければいけない。本当に大きな課題だったと思います。

★《38歳~ ナンバー4》

4は基礎固め・土台のナンバーでもあり、コツコツとまじめに物事を進め、現実の側面を体験して学んでいきます。

 

 

【イヤーサイクル】

 

●14歳 ナンバー22(4)

太宰は14歳の時、井伏鱒二の「幽閉」を読み「座っていられないくらいに興奮した」といっています。

22は無から有を作るナンバー。この時無意識に作家への道に気づいたのではないでしょうか。

 

●16歳 ナンバー15 

この頃から、小説やエッセイを級友と同人誌を作り発表し始めます。

芥川龍之介や泉鏡花に憧れ、作家を志望するようになります。

サイクルチェンジされた年です。

15はライフワークに目覚めたものが夢を拡大する時期。

太宰自身は作家がライフワークとは気がついていなかったとは思いますが、夢への第一歩を踏み出したのがこの頃のようです。

 

●19歳 ナンバー18(9)

18歳のとき、敬愛している芥川龍之介氏が自殺してしまいます。

これに大打撃を受けた太宰は、勉強がおろそかになり義太夫、花柳界、読書三昧など明らかに今までの優等生から違う方向へシフトしていきました。

ですが、19歳のとき、「細胞文芸」という同人誌を発刊し創作活動を再開します。

この「細胞文芸」は太宰文学の原点といわれており、この時期に文学に生きる覚悟を固めたようです。

18は二者択一のナンバーです。文を書くことをやめるか、続けるか。太宰は作品を通して、自分の考え・意思・思いを吐露していく道を選んだのだと思います。

 

●20歳 ナンバー19(10)

この頃急激に左翼思想に傾斜していき、自分が資産家の息子であるという自己出身階級に悩み、また「家」との関係、特に兄との関係に悩んだ末とおもわれる、単独で第一回目の睡眠薬による自殺未遂を起こします。

19は否定的要素の克服をする年。カルミックナンバーでもある「19」は家族や自分の殻から抜け出ようともがき、また悪癖の耽溺や過度の不安や傷つくことを恐れてしまうのを意味するナンバーでもあります。

ソウルナンバーに10を持つ太宰。10は生命の木でいう一番下、現実社会を表し、変化の波がやってくるナンバー。だから余計、自己不信や不安が大きくなったのでしょうか。

自分の思うようにならず、自分の理想とするものと現実のギャップに悩み、だした結論が自殺。安易な道(死)によって清算はできてない。と神様からのお告げにより未遂で終わったのでしょうか。

 

●21歳 ナンバー20(2)

太宰は屈折した罪悪感(実家からの仕送りで豊かな生活を送る一方、それに対する自己嫌悪や生い立ち)から、8のアマチュアにもある「反権威主義」、左翼運動に没頭し、反帝国主義学生同盟に加わり、シンパ活動にはまります。

かねてより付き合いのあった芸妓を上京させ(運命数6のところの話)、本家の除籍等を条件に結婚を承諾してもらい、その芸妓と結納を交わします。

ですが、除籍(義絶)の真意はシンパ活動にあったことを知った太宰は、なぜか3回しか会ったことない女性(田部シメ子)と心中を図りました。(二回目の自殺未遂)

シメ子は亡くなり太宰は生き残り、後々まで心の傷となる事件になったようです。

イヤーサイクル20は、共依存・依存に注意であり、境界線がない時期でもあります。

この心中事件は、さまざまな要因が重なったもので偽装ではないかとも言われています。

なぜシメ子と太宰が心中を図ったのかは、未だにわかってはいません。もちろん何か心に共感するものがあってのことでしょう。ですが、自己中心的な要素を持つ1や、愛の部分での6からみて、「除籍についての兄への不信感」「経済的な不安感」「親に認められたい」という太宰の幼稚な駄々をこねるような見境のないパフォーマンスにも取れていまい、それにシメ子が巻き込まれた気がしてなりません。

またイヤーサイクル18のときに「文学の道へ進む」と決めていながらも、その後もエゴの手放しがなされなかったために起きた事件ではないでしょうか。

 

  • ●23歳 ナンバー22(誕生日前)

この年に小説としては初めて「太宰治」の名前で作品を発表します。

ナンバー22。夢の実現、無から有に向かう数字です。

14歳の頃のサイクル22で無意識に作家の道への一歩を踏み出し、この年で執筆名を「太宰治」とし乙種懸賞創作入選を果たし賞金を得ました。

作家という、ライフワークへ本格的に一歩踏み出したのがこの時期のようです。

 

また「太宰治」の名前の由来としては、「太宰」については、①同級生の苗字から取った説②万葉集の大宰権師大判から取った説があり、名前については本名の「修治」はどちらも「おさめる」なので2つもいらない。とのこと。深く考えて命名したものではなく「なんとなく」のようです。太宰の持つソウル1の直感的なものだったのでしょう。

 

  • ●26歳 ナンバー 誕生日前 24(6)

     ナンバー 誕生日後 16(7) ★サイクルチェンジ

お誕生日前、3月に3回目の自殺未遂。今回は単独。

大学へは行かず文学に勤しんでいたため授業料未納で大学は除籍、兄への申し開きのために受けた新聞社の入社試験も失敗し、自殺未遂を起こします。

24→長い間、兄にお金の面を含め庇護されて安定して生活していたが

自分の自堕落的な生活により除籍、言い訳のために受けた入社試験は不合格。どちらも自分のせい。依存の強い人生を送っていましたが、とうとう言い訳がきかない現実問題として現れます。そこからまた逃げるために自殺未遂を起こしたのでしょう。

 

誕生日後の16-7

サイクルチェンジをした26歳。「逆光」が芥川賞候補に挙がります。

ですが、結果は落選してしまいます。

16はタロットで言うタワー。破壊の年です。自己破壊的になることもありますが、自己改革の年でもあり仕事の情熱が高まり、とても高い理想を抱きます。

太宰は極端に自分を否定されることを嫌います。川端康成の「芥川賞」の選評を読んだ太宰は憤慨し文芸誌上で反撃しています。

憧れの第一回芥川賞候補になったが落選し、この頃より薬物中毒になってしまいます。

薬物中毒により周りに多額の借金をし、強制入院となってしまいます。薬物中毒は治癒しますが、入院により人格を否定された屈辱感と敗北感で人間不信に陥ってしまい、中毒は治癒したが心に深い傷が残ったことを窺わせ、退院直後に「HUMAN LOST」と題し日記風に綴り自らに人間失格の烙印を押したそうです。(これが後の「人間失格」の元になる)

この時、入院や治療に関わった人々からすれば、放置すれば太宰の肉体も精神も、作家生命も社会的存在としても破綻が見えており、治療を最優先したのは当然のことでしたが、太宰からしたら人間性の剥奪に繋がると思ったようです。

16のこの時にこれだけ大きなことが起こった時点で、周りに対しての怒りや自分の感情の根源にある甘えや依存というエゴの開放が必要だったのではないでしょうか。

 

●28歳 誕生日前 ナンバー17(8)

4度目の自殺未遂。今度は内縁の妻、芸妓だった小山初代が姦通を犯し発覚。そのため二人で心中しようとするも失敗。

この心中を題材に「姥捨」という作品があり、事実に沿うが事実そのものではないがそもそもいつの頃からか初代と別れたかったので、前年の入院と姦通を理由にしたいとの思惑が睡眠薬が少量というところから見て取れるため、この心中は本気ではなかったといわれています。

16での破壊の年にエゴの開放や不必要なもののそぎ落としがなされなかったため、また破壊的現象を起こしてしまったのだと思います。

17は8でもあるので現実問題に出てしまったのと、太宰のバースが8でもあるので直面すると衝動的・利己的になりやすいのかもしれません。

 

●30歳 ナンバー19(10)

イヤーサイクル19、太宰のソウルナンバー10-1。誕生日19。

太宰の人生で2回目の19です。

この年に井伏鱒二の紹介で結婚しています。

この時期の太宰には色々なことが一大決心だったと思います。イヤーサイクル19で見ると、新しい家族ができて否定的要素を克服した年。

10の結婚は○といわれています。

すさんだ生活をしていた太宰に、井伏鱒二らが再婚しかないと世話をします。

 

 

紆余曲折の末、結婚するに当たり文学一筋で身を立てるために借金の整理と、過去何度も失敗した自殺未遂から立ち直り奥さんを一生かけて守っていくと決意し、誓約書まで作成しました。

この結婚をするに当たり、特に実家からの支援打ち切りは、甘えの多い太宰にとってはとても重要な出来事だと思います。

太宰にとってとても大きな変化であり、今まで兄から受けていた支援もなく自立を促され

地に足を着ける方向へ進み始めます。精神的にも安定し薬物中毒もなくなり、この頃から「愛に満ち、明るさと温かさが溢れ、文章は平明でわかりやすく人々の心を慰める花のような感じ」な作品が多く、今までの病的、不健康のような退廃的な暗いマイナスイメージは無く、「太宰が自分の新しい生き方の見本、新しい理想像を書き出した」といわれています。

子どもの頃よりなんだかんだ実家の富や、親兄弟の監視の下、大人になっても自立できず文句を言いながら恩恵にあずかってることが原因で、自分が囚われていることに気がついていなかった太宰。

カルミックナンバー10は、再誕生のナンバー。ここで完全でなくとも、少しは清算が行われたのかと思います。

 

●38歳 ナンバー 19(10)

「斜陽」「人間失格」を執筆・発刊

山崎富栄さんと心中自殺 

ちょうど帰京した年(イヤーサイクル17)のあたりから、平穏だった結婚生活も一変したようです。

作家として売れっ子になり高収入にはなったものの、そもそもがお坊ちゃまだった太宰の金銭感覚のズレで交際費や飲食代で家計は火の車、且つ想定外の多額の納税問題からの逃避、太宰は多忙で妻美智子は子育てに追われ家は荒れ果て、妻子を思いながらもいたたまれず仕事を理由に家を出て、半ば逃げ場としての二人の愛人との関係、文学活動における有力者への反発、生き方の違いが鮮明になり旧知の友との確執、新たな文学・出版関係者らとの付き合い、饗応に伴うストレスや自身の体調不良などが重なり、心身ともに疲弊の極みに達したようです。

最後の心中の理由は、①創作の行き詰まり ②山崎富栄の死の覚悟 ③心身共の長期療養計画 といわれていますが、はっきりしていません。

太宰は、たった39年の人生で自殺未遂・自殺が5回。

客観的にみて太宰自身に軸がなく、自分愛、自己信頼がないところから来るもの、極度の依存だったような気がします。バース17-8。17に移行できず、8でもがき続けてしまったのでしょうか。

 

今回の心中はお誕生日の1週間前だったので、イヤーサイクルは20で読みます。

20は審判のとき。

お金や愛人というのは、実のところ太宰にとっても最重要項目ではなく、

人気作家になったことで作品への注文や批判、私生活に対する非難、誹謗、中傷。そうした圧力は文学とは無関係であり、作家として純粋に作品に情熱を燃やしそのまま燃え尽きることを望んだとしても、周囲がそれを理解してくれない。との思いがあったのではないでしょうか。

太宰は上記のような圧力に対して「如是我聞」(太宰の連載随想)で猛反発したといわれています。ですがそれを理解者であった井伏にまでも執筆中止を求められ、意思や行動を束縛するする不条理に悩んだそうです。

帰京してからの2~3年間は、太宰の作家としての名声とお金は手に入れることができたのと引き換えに、分かっていながらも自分の思想を貫き通すことができず、結果本当に太宰が求める思想に反することをすることになり、もがいた晩年だったのでしょう。

時代なのか立場なのか、イヤーサイクル18~20の間にしなければいけない常にエゴと向かい開放する作業どころか、自分が手放さなくてはいけないエゴと他人からのエゴの両方を背負ってしまったのかもしれません。

そして自分軸が無いため一番弱い依存心と甘えが、富江さん太宰と離れなくないという思いと太宰の現状から目を背けたい気持ちがリンクした結果だったのでしょう。

 

 

 

Reported by Yoshiko Takada

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March 6th 2015