
人気ブログランキング参加中です、クリックお願いします。
人気ブログをクリックして下さってありがとうございます。
押していただけたら、日々の更新の励みになります。
よろしく御願いします。
どーもw コジマです、引っ越しもやっと一段落です。
ところで、本日は長崎の原爆の日です。
今日は、一人の戦場カメラマンのお話をしたいと思います。
ジョー オダネルという方をご存知でしょうか?
彼は、米軍の従軍カメラマンとして、敗戦直後の日本の地を訪れ、
爆撃による被災地の状況を記録するために、広島や長崎などの現状の記録を撮影しました。
彼が、長崎を訪れたときに撮影した、一枚の写真があります。
「焼き場に立つ少年」というタイトルの写真です。
戦場の現状を記録する傍ら、彼は、私用のカメラで、被爆者の人物写真も同時に撮ってました。
彼は、この写真について、こうコメントを残しています。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年の
まだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
< 1999年 朝日新聞社発行 「写真が語る20世紀 目撃者」 より抜粋 >
この写真は、終戦から半世紀ほど、人の目に触れることはなかった。
米軍から、被爆者の写真の撮影を禁止されていたためとあまりの無残さゆえに…。
しかし、彼は、突然、この写真を発表した。
原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発に踏み切っていく。
原爆投下を信じる周囲から非難の声を浴びながら、85歳の生涯を閉じた。
何度見ても、泣いてしまいます。
皆さんは、どう感じることが出来ましたでしょうか?
ちょっと忙しかったので、かなり落ちてしまいましたが、
おかげさまで今日も11位からのスタート!!
ランキングの順位、毎日の励みになっています。
ほんとうにありがとうございます。
良かったら、下のランキングをクリックお願いします。

人気ブログランキング参加中です、クリックお願いします。

