ハネちゃんは

母の 公園友だちだった

 

 

奥さまが 亡くなって

 娘さんと同居しに

故郷から東京へ 出てきたのだが

 

10年ほど 前だったか

色々 事情があって

娘さんの家を 出ることになり

 

大きな公園がある この町に

アパートを借りて

ひとり暮らしを 始めたのだった

 

 

 

私の母は

公園の 朝の体操に通って

早や 40年

 

ある時

いつもの体操仲間の そばで

ひとりでラジオ体操をしている

おじさんがいたので

声を かけた

 

それが   ハネちゃんで

 

それから みんなと一緒に

体操するようになったらしい

 

 

 

 

その後

 

ハネちゃんは 時々

家に 遊びに来るようになった

 

 

ある時

故郷の写真を 持ってきて

見せてくれたことがあった

 

延々と続く 桜のトンネルが

とても美しい写真だった

 

写真に写る ハネちゃんの実家は

冠木門の 立派な家だった

 

 

今は この家に

義姉さんが ひとりで住んで

畑をやってんだ

 

種蒔きと 収穫の時は

オレが手伝ってやんないと

 

 

 

そう言われれば

ハネちゃんは

時々 実家に帰ることがあって

 

戻ってくると 必ず

立派な桃や 新鮮な野菜を

お土産に 持ってきてくれた

 

自分で作った という 干し柿も

 

 

ハネちゃんは

この世代の男としては 珍しく マメで

 

梅の実のなる 季節には

お手製の梅干しを

つくってきてくれたし

 

公園で集めた ぎんなんを

きれいに洗って

山盛り 持ってきてくれたことも

 

 

 

 

1年くらい 経って

気心が知れてくると

よく 自転車で

突然 訪ねて来るようになった

 

 

母がいれば 上がって

お喋りしていくことも あったけど

 

お出かけ大好きな 母は

いないことも 多くて

 

 

そんな時

スーパーの袋から

自分用の食材と一緒に買った

和菓子を 取り出して

 

うまそうだったから

〇〇さん(母の名前)に

食わせてやろう   と思って

来ただけだべ

 

ちょっと恥ずかしそうに そう言って

お菓子を置いて   帰って行った


 

 

 

我が家の 猫の額のような

庭を 見て

 

庭を もう少し かまったほうがいいべ

オレが 手入れしてやるから

 

と 言って

手際よく きれいにしてくれたことも

あった

 

 

それは 本当に 魔法みたいに

あっという間に

「手入れの行き届いた庭」に なった

 

 

母の

ありがとう 疲れたでしょ

という言葉に

 

ははは…オレは

草とか 木を 触るのが

好ぎなんだ

 

と 笑っていた

 

 

 

 

ハネちゃんと同じように 

公園で 母と親しくなって

我が家に遊びに来る 男の人が

何人か いる

 

 

その中には

 母を   口説く人や(!)

 

母に 抱きつこう   とする人も(!!)

 

 

母は嫌なのだけど

無下にはできない

 

だから

母の男友だちが   うちに来たら

 手を出すスキを    与えないように

私は   リビングとキッチンを

行ったり来りして

 

 

なぜだか 我が家で一番モテる

母86歳

 

 

 

 

そんな中で ハネちゃんには

一切 そんな心配は なかった

 

いつも ふたりで

ただ お茶を飲んで

お喋りして 笑っていた

 

 

それは    本当に

平和な景色だった 

 

 

 

 

 

 

 

 

うちの畑に

立派な桃が なってたけど

今年は 持ってこれねかった

 

干し柿も 無理だべ

 

 

ハネちゃんが

申し訳なさそうに そう言ったのは

2011年 夏

 

実家のある 福島県相馬市から

帰ってきた時だった

 

 

すっかり 様子が変わっちまってた

 

そう言って 寂しそうに笑った

 

 

 

その時

故郷を失った ハネちゃんの悲しみを

私たちは

どれだけ わかっていただろう

 

 

 

 

それから 程なくして

ハネちゃんは 今度は

息子さんと 同居することになった

 

 

本当は ここは 公園も近いし

こうして 知り合いもできて

楽しいんだけどな

 

でも 息子から 声かけてもらったから

行がねえと

 

そう言って

引っ越して行った

 

 

 

ハネちゃんの 引っ越し先は

偶然 我が家の菩提寺の そばで

 

母と お墓参りに行く度に

 

ハネちゃん どうしてるかしら

 

と 母は呟き

 

私は

 

ここから すぐだよ

会いに行けばいいじゃない

 

なんて 答えながら

 

道行く人の中に

ハネちゃんの姿を

探したりもしたんだけれど

 

 

でも また今度ね

 

そう言って 会いに行くのを

毎回 先延ばしにしていた

 

 

 

 

 

 

この年末

ハネちゃんの息子さんから

喪中はがきが 届いた

 

4月に亡くなった と 書いてあった

 

 

母は おいおい泣き出し

 

私も 自分で意外なくらい 悲しくて

しばらく 立ち直れなかった

 

 

ハネちゃんの あの 純朴な笑顔と

福島弁の やさしい抑揚が

事ある毎に

フラッシュバックしてきた

 

 

 

 

ある年 ハネちゃんに

 

お正月は どうするんですか

もしよかったら 我が家に来ませんか

 

と お誘いしたことがある

 

 

いや いいよ

家族水入らずで 過ごしな

 

と 遠慮してたけど

 

 

でも あの時

強引にでも 誘えばよかった

 

 

先ずは 相手の立場を思いやる

 

そんな   慎み深いひとであることを

知っていたのに

 

 

 

 

 母も   私も

結局 いつも

ハネちゃんから 色々なものを

与えてもらってばかりだった

 

 

 

 

 

今 思うことが ある

 

 

ハネちゃんは 東京に来てから

幸せだったかな

 

 

 

もし

幸せより 辛い思いが 勝っていたら

 

 

そんな社会は 悲しすぎる