#日本を見ていて憂うこと~ 近代日本① | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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常に夢を持って波に乗ろう!

日本を見ていて憂うこと 

今日は何の日か?

 

耳の日?

 

そして3月3日、ひな祭りの日でもある。

 

そして日本史における3月3日は……

 

日本の封建体制が崩れ、新日本の胎動が歩き始めた日でもある。

 

 

1853年アメリカのペリー提督が日本に通商開港を求めて来た。

 

以来、この国日本は開国か鎖国かで騒然となった。

 

1860年、今から僅か163年前の今日、

 

幕府の最高権力者、井伊直弼大老が江戸城に

 

桃の節句、ひな祭りの賀詞を述べに登城する

 

その行列を狙って水戸、薩摩の浪士が斬りこんで行った。

 

そして、日本史が大きく転換するターニングポイントともなった日なのである。

 

 

唐突に漠然とこう告げられても

 

なんのこっちゃ、とピント照準が合わないユルイお方もいるだろう。

 

猛威を振るったコロナ禍が、一定の収束を見ようとしている中、

 

世界は今、狂人プーチンに盲導された、

ロシアの侵攻をして、地球的に大きな変革をなそうとしている。


西側諸国やNATO による

ロシアへの経済制裁は

見通しが甘かったと言える。


西側諸国が一致団結連帯して

中印を牽制し、

ロシア内部に西側諸国に友好的な

ポストプーチンの

勢力を支援し傀儡を育成し、

内戦状態にし、

新たなロシア革命で

緩やかな戦争終結に

持って行くか、

はたまた、コロンブスの卵的

強硬策の二本立、二段構えが望ましい。


やれるもんならやって見ろ!

と言う、一致結束して

各戦略ミサイルの

照準をクレムリンに

一斉に合わせる。

世界正義か地球全滅か、


To be or not to be

That’s the question 


のハルノート最後通牒を

蹴り込んでやれば良い。


志し高く、善良な地球市民有志が

理想の為に、

邪悪なサタンのロシア

を粉砕出来て


地球の日記に、


地球の正義は

いつの世も

健全に機能し、

最後には、


邪で未熟な国は消滅した。


と、ある。


これ程清々しい思いはない。



 

明治維新前のきな臭い日本の世相もこのような惨状ではなかったろうか。

 

 

いや、私は井伊直弼がプーチンであるとは思わないが、

 

独り悪者の独裁者がシープゴート生贄になって丸く収まる事例は良く見て来た。

 

ヒトラーしかり、そしてあれは湾岸戦争だったかな、フセイン大統領と言うのがいたが……

 

また、このプーチンも歴史の彼方から名実ともに消滅していく泡沫なのかもしれない。

 

 

 

お蔭で緊張感を保ち表面張力を漲らせて戴いた。

 

 

 

 

 

それでは、本題に戻って、日本史をおさらいする事にしよう。


因果応報、ある事象の裏には必ず

その要素、要因がある。

現代の諸問題を解決するには、

先ず、歴史に学べ

と言う古今東西の格言もある。


それでは歴史を

読み解いて行こう❣️


 

 

 

 

 今年明治155年でもある2023年。

この155年と.いう短い間に日本は多くの血が流れ、そして大きく舵をきった。

 

いや無能な輩が無理に大きく舵をきったから、多くの日本人の血が流れたというべきか……。

 

それまでの日本は、戦国~天下統一を経て封建制ながら士農工商という

分制度のもと文化も栄え泰平の江戸徳川政権時代が永く続いた。

 

260年以上続いた井の中の蛙とも称せる徳川政権に、突如百余発の空砲艦砲射撃がとどろき日本の歴史を変えた。

 

「ペリー来航」である。

 

歴史に、if もし……はないが、ペリーが来なかったら? 

 

米軍B29による非道な原爆実験的投下で多くの罪もない一般市民が無残に殺傷されるカタストロフィ

 

悲惨もなかったろうが、代わりにブータンのような世界一幸福な国になっていたという保証もないのである。

 

 飛躍してしまったが、先ず歴史的時代背景からおさらいすると、と言っても明治維新という大転換に至った要因、

 

事案に絞ってスポットをあててみよう。

 

 

江戸徳川政権は外圧に弱いと全国の志士に知られた。 が、

 

その昔の日本、弘安4年夏の頃の鎌倉幕府は蒙古襲来を神懸かり的に退けたのに……。

 

拙ブログ 

「”蒙古襲来”に神風は本当に吹いたのか?」 

 

外敵なぞ何する者ぞ、団結すればこわいものはない。

 

 

惜しむらくは1853年ペリー来航以前、事前にオランダから米国艦船が鎖国中の日本に来航する旨

 

知らされていたのに何の有効な手も打たなかったし、太平の世が永く続いたせいか元寇のように外敵を想定した朝駆け、

 

夜討ちなど闘志に溢れる実践士道魂の練磨が薄れていたのである。

 

 

それは鎖国による弊害から世界水準の兵器・軍事力推移に関して疎くなっていたのも事実で、

 

当時は香港島など植民地政策が非であると国際社会が認めていなかった時代でもある。

 

外圧に対して幕府の弱腰外交を天下の志士たちは批判し憤慨した。

 

なかでも朝廷、孝明天皇は外国嫌いで条約を勝手に結んだ幕府に対して不信感を抱いていた。

 

その頃のブーム流行として「尊王攘夷」が各藩の若い志士たちの間で流行った。

 

 

例えば近年の例でいうと、70年安保闘争などの学生運動。 学生運動といえば、六四の天安門事件などが挙げられよう。

 

さらに森羅万象の自然に例えるなら、水琴窟の如く外からの一滴で甕の水面に波風をたてるシチュエーションを

 

イメージして頂ければ分かりやすい。

 

 

 

 

これは隕石の地球衝突や核ミサイル、MD構想さえ連想させる。

 

これに以下、日本史の事蹟を重ねる。

 

そうすれば物事の因果応報が見えてくると思うが…。

 

先ず史実からおさらいしてみよう。

 

 

11代家斉 1834年 この年諸国は大飢饉になる。 (天保5年)

 

     1837年 大塩平八郎の乱起こる。   (天保8年)

 

12代家慶 1840年 清で阿片戦争起こる。

 

     1842年 阿片戦争で英国が武力により清国の香港島を占領。

 

     1846年 米国東インド艦隊ビッドル司令長官、浦賀に来航。 (弘化3年)

 

     1853年 6月 米艦隊ペリー代将、黒船4隻で浦賀に来航。 将軍家慶薨去。(嘉永6年)

 

13代家定 1853年 10月徳川家定13代将軍になる。

 

   1854年 ペリー再来航す。(安政1) 

  

     日米和親条約調印。吉田松陰、密航を企て囚わる。西郷隆盛、島津斉彬のお庭方役となり人脈を広げる。

 

     1855年 江戸大地震(安政大地震)。水戸藩の徳川斉昭公、海防参与となる。

 

     1856年 アロー号事件(第2次アヘン戦争~1860年) 

 

      米総領事ハリス下田着任。

 

      徳川家定と島津斉彬の養女・篤姫が結婚。

 

     1857年 日米下田条約調印。ハリス領事が将軍に謁見。

 

     1858年 幕府、日米通商条約の勅許を奏請するが朝廷はそれを許さず。

 

攘夷を譲らない孝明天皇は逆に8月8日先ず水戸藩に。

 

そして10日幕府に「戊午の密勅」を下す。 

 

 

       (関連頁)「 ○○の秋~DISCOVER JAPAN~③

 

 

 

 

    (安政5年)大老に井伊直弼就任。(将軍家定、南紀派の思惑絡みと譜代筆頭の実績から)

 

          日米修好通商条約調印。慶喜の対抗嗣慶福(家茂)将軍後嗣になる。

 

          将軍家定薨去。(大老らの)幕府、徳川斉昭・松平慶永らを処分。島津斉彬歿す。

         9月、安政の大獄始まる。家茂将軍になる。

 

14代家茂 1859年 1月 橋本佐内、吉田松陰、頼三樹三郎ら刑死。

 

(万延1)1860年 3月 桜田門外の変で水戸浪士らに暗殺さる。 

 

      

桃の節句・雛祭り <前半>

 

   

8月 政敵を失くして張り合いが無くなったか徳川御三家水戸藩第9代藩主・徳川斉昭、謹慎中の水戸城中で歿す。 

     

 

 扨て、永くなった、本日はここまでとす!      吟