今夏点描3景 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

①高校野球悲願達成!

②日本一あっついぞー熊谷。

③江戸時代の夏越しの仕方。

 

 

①=これは記録的な事のようだからスルーできない。

百年越しの悲願で、真紅の大優勝旗が白河の関を越す!という快挙だ。

 

 

夏の高校野球決勝戦が、8月22日2時のサイレンと共に阪神甲子園球場で優勝をかけた熱い闘いが繰り広げられた。

今年は観客や応援団を入れての本来あるべき熱闘ドラマ空間がここにも戻ってきた。

生の視線が、歓声が、拍手が、その大舞台が選手を着実に成長させていく。

試合は仙台育英高校が、下関国際高校から先取点を奪い、その後着実に加点していく展開で8-1のスコアで勝負あった。

まるで東北勢総がかりで記録的な大事業を成し遂げたかのようだ。

 

 明鏡止水。心頭滅却すれば火もまた涼し。

 

ったく高校野球は生の感動の原点だな。これを制限すると言うのは、ったく無知で愚昧だな。

 

 

 

 

②=これも同じく日本一にまつわるお話。

 

夏になるとニュースなどでこういう看板が出て来るのを見たことがありませんか?

 

  • 最高気温: 41.1℃ (2018年7月23日 熊谷地方気象台)
どうやら熊谷は日本一暑い土地柄の様である。
 
なぜ日本一暑いのか?
 
 
これが自由研究のテーマにもなりそうである。
 
考えられることが二つある。
一つは、内陸に位置しているためで南の海の涼しい風が、東京などのヒートアイランド現象でエアコンや車の熱風に変えられて届く。
もう一つは、北のフェーン現象が考えられる。
北陸からの湿った気流が北関東の赤城山など山の斜面に当たって水分が抜け落ち、暖かくて乾いた下降気流となってその付近の気温が上昇する。つまり上からも下からもW温暖化サンドイッチ効果で日本一なのである。
こういう現象は古より上州名物かかあ天下と空っ風と云われて、これはもう、なす術がないのが現状のようだ。
あるとすれば、利根川と荒川の水系をミストのように上手く活用する事だろう。
プラン次第では、人口減少に歯止めがかかり、逆に雇用の創出につながる一大プロジェクトになろう。
 …そうなると、残念だが、日本一の座は明け渡さざるを得なくなるだろう。
 
ついでに熊谷を取材してきたので写真から想像して戴ければ幸いだ。
 
 
ミスト見えるかな?
 
 
 
八木橋デパートの屋上から展望。
 
 
熊谷之次郎直實像
 
駅名や地域名は「くまがや」で、熊谷寺は「ゆうこくじ」、人名は「くまがい」が一般的のようだ。
 
 
 
 
近年はラグビータウンとして町おこしに一役買っている。

 
町おこしと言えば、暑さ日本一の看板で有名な八木橋デパート正面入り口の案内嬢もその名に負けない美貌と感性、教養の高さが窺える。
肖像権を尊重して此処では掲載を控えます。
 
 
 
 
③江戸時代の夏越しの仕方。
江戸時代にエアコンやクーラーが無かった時代、当時の人々はどうやってこの暑い夏を過ごしていたのか?
今より多少は外気温が低かったとは言え、当時の人々はそれなりの工夫をしていた。
行水であったり、川浴び、打ち水、氷室などの利用は当然のこと、武士の中にはいわゆる「我慢較べ」と称する「心頭滅却すれば火もまた涼し」的な行、今でいえばインターバルトレーニングみたいな精神鍛錬の習慣が流行っていた。
 
暑さも極みに達したと思われる頃、侍同士が示し合わせて、その日は厚着、何枚もあつあつのどてらなどを着込み、中には桐灰懐炉まで念入りにしのばせてやせ我慢度を較べるのである。
 
やがて武家の一間に大勢集まって、これから「暑中我慢較べ大会」が開かれるのである。
ルールは至って簡単。涼しい涼しいと言っておればよいが、仮にも「あつい」などと申されようものなら即刻はじき出され、あいつは武士の風上にも置けぬ、と顰蹙を買うのである。
 
やがて一間の至る所に火鉢が置かれ、締め切られもうもうと熱気が漂い始めた。
そのなかに、サウナ状態で一同が押し込められ、扇子など使おうものなら周囲は、「寒い寒い、それはなりませぬぞ」とたしなめられるのである。
 
火鉢がガンガン熱せられてきたところで、五徳の上に鍋が据えられ、やがて土手鍋が随所で煮えたぎってくるのである。
そしてそれが、めいめいに配膳され、「おおさむ」と言ってそれをこの暑さの中、汗をダラダラ吹き出しながら、ふうふうして食うのである。
なかには、熱々の丼を持つ手が心なしか小刻みに震えながら、涙目になっている若者もいる。
逃げ出したり、音を上げたものは以来大きな顔が出来ないものだから、必死で本音と建前の葛藤の狭間で意識朦朧となりながら、なんとかアウトオブコントロールにならぬよう、小束などを用いて集中力を高めて試練を乗り越えて行くのである。

今から思えば多少滑稽とも思える意地の張り合いでもある。が、それで熱中症に罹ったり救急車で運ばれたりといった記述も見当たらないのである。
 
これは過保護や甘えの構造とは対極にある、いわば獅子が我が子を千尋の谷に突き落としで野性の本能を目覚めさせ百獣の王として生きながらえさせる伝統的な逆療法でもあり、精神及び肉体鍛錬法で、高校野球の球児たちが窮地に陥っても気弱になったりしないで、いいプレーができるよう、衆目の中で日頃の鍛錬に打克っていくエクササイズでもある。
 
そしてこういうイベントをすることによって、例えば暑い熊谷から東京に帰ってくると涼しく感じられるように、我慢大会を終えた武士たちは、もう並み大抵の暑さには負けない心身になっているのである。自信がつくと、自律神経まで好転していくのである。
 
   さて、本日はここまで。 (吟)