行楽の秋になったので、飽きもせず旅に出てみた。
昔から「可愛い子には旅をさせよ」と言うではないか。
可愛い子というのは、世間知らずという意味もあるやふだ。
だから可愛い子でなくても旅をすればいろんな人々に出くわす。犬も歩けば棒にあたる、と言う塩梅だから……。
さて、今回の土浦~霞ヶ浦紀行編でも、世の中には全くもってダイバーシティーの恩恵というか、野に埋もれていたユニークな逸材をも発見する事になったのだった。
先ずシチュエーション(状況)だが、これは荻原浩の「僕たちの戦争」という475頁にも及ぶ、平和ボケに警鐘を、というか温故知新的な物語で、現代のサーファーと戦時中の予科練飛行兵が、入れ替わるタイムスリップの悲喜劇を、ディテール豊かに描いた見ごたえのある作品で、これを読み終えたおかげで、私はこの舞台の霞ヶ浦に興味を持ち、とうとうここに来てしまったじゃないか。
いい作品は人を動かす力があるようだ。
この銅像はどなたか分かるかな?
この方は、連合艦隊司令長官の山本五十六大将。霞ヶ浦の「雄翔館」でお目にかかれる。
彼は霞ヶ浦をパールハーバーに見立てて飛行訓練をさせたという。
これら史実も踏まえて、また個人的にも、「わたし霞ヶ浦出身よ」と言っていた、ある女性のことも心の奥底に引っかかっていたのかもしれない。
約80年前、七つボタンに憧れて土浦に引き寄せられた多くの若者の如く、私もある種の磁力によってその地を踏んでいた。
そして、いつかは、と思っていた念願の(?)霞ヶ浦・土浦に来てしまっていた。当時とは違うエアコンの効いた快適なJRで。
そうBGMはJRのテーマソング「いい日旅立ち♪」のメロディーがふさわしいかな。
料亭「霞月楼」は明治22年創業で土浦に在し、山本長官ら佐官級の幹部将校も当時英気を養うために利用したという。
そして下士官や教員、七つボタンの予科練(海軍飛行予科練習生)の連中は、今も残る「保立」や「吾妻庵」を利用し、昔はここが、敬礼だらけの海軍さんでいっぱいだったんだな、と思うと不思議な感傷にとらわれてくる。
当時、列強の植民地政策や国内では軍部の台頭、対中国戦争が泥沼化し、国際的に不景気で海軍軍縮不平等条約や国際連盟から日本は弾き出されるようにして、日独伊三国同盟を締結(1939年)したので危機感を感じた米国は、日本に対しハルノート(最後通牒)を突き付け、やむにやまれぬ日本は1941年の日米開戦・真珠湾攻撃に至る訳だが、米国は物量生産大国にもかかわらず、資源乏しい小国を挑発して、原爆実験を使用する機会を窺っていたともとれる。
どう正当化しようとも、現実に非人間的な核使用した事実は、やってはいけない人類史上の汚点ともいえる。
そして今の平和ニッポンは、力や技を競う魂をスポーツにぶつけている。
さて、温故知新の如く、その歴史的現存史料を実際にこの眼で観たく、「予科練」の跡地に行こうと思い、周囲を見回すと、駅に陣取っていた”いきいき茨城ゆめ国体”の案内コーナーが目に映ったので、そこで聞いてみることにした。
「こんにちは。少々お尋ねしたいのですが……、予科練はどう行けばいいか分かりますか?」(ちょっと唐突だったかな)
「えっ、ヨカレン? ……ああ、予科練平和記念館ですか」
「ええ、それです。バスとかありますか?」
で、話を聞いてみると、1時間に1本か2本しかないとのこと。
それで私が「歩いて行けますか?」と言うと
「いやいや歩くと遠いですよ、1、2時間かかります」
「……」
すると、気の毒に思ったのか、親切に「今、丁度、国体のセーリング会場に行くシャトルバスが出てますから、そこへ着いてから少し戻れば「予科練平和記念館」に行けます。
「それはどこから乗れるのですか?」
「シャトルバス乗り場までご案内しましょう」と言って、I さんが一緒に歩いて、<監督・選手用>のプレートがついた大型バスまで案内してくれた。
やがて、若い母親と幼い娘も乗ってきて、バスは間もなく発車した。
……ほうっ、この辺の土地の人は親切だな。海軍のあった町だからかな。山本長官の仁徳かも知れんな。
と、一人悦に入っていたら、後方の席で幼い女の子が泣きだした。
何?何なんだ?
どうやら親子喧嘩のようだ。母親がびちびち小言を幼女に言っている。
幼女はすねて泣きながら反論している。
母親はあやしたり、なだめすかしたり、仕舞には脅しているつもりなのか「聞き分けのない子ねえ、もう、何も買ってあげません!」
とうとう、母親も愛想を尽かしたようだ。
すると、その女の子は、衆人環視の前だから、ひどいことはされないだろう、この際、日頃のうっぷんを晴らしてやれ、などと思ってか、ますます自我を通す。
「うわ~~~ん……」
おいおい、何だか険悪な雰囲気になって来たぞ。やめてくれよ、こんなとこで家庭のもめごとは……
その大型バスの大柄な運転士さんも、気持ちよくマイペースで運転していたのに、いったい何事が起ったかと、ギョッとして、あのトーキーの目玉の松っちゃんのような大きな目ん玉をひんむいて、運転席から伸び上ってバックミラーで後方の客席を見遣った。
そして、筑波山のがまガエルのように、ひきつったような顔になり、その顔からは、困惑の表情がありありと看て取れた。
……気の毒な運転士さん。
さて、こういう場合どうするのか?後学の為にも観察させてもらっていると……。
意を決して開き直ったのか、一転して努めて明るく振る舞おうと、或いはこういう非常時の対応マニュアルが甦ったのか、やや引きつりながらも、左手にマイクを握ったかと思うと「えっ、何?」と思う間もなく、左側を手で示し、
「これが、あの高校野球県大会で優勝した霞高です!」
と、自分のことのように、鼻も声も高々と、誇らしく車内に響くように、客席を見渡しながらおっしゃる。
女の子は一瞬何が起こったかと、泣き止んでしまった。
しかし、わたしゃその県大会も知らんし、それより、その捨て身の海軍魂、特攻精神は分かったから、もう、前を向いて両手で運転して。と言いたかったが、素人がそんなことを言ったらどんな反論を食らうかもしれないし、何しろ、ハンドルを握ってるのはアンタだ。へたに怒らせて機嫌を損ねてはどうなるか予測もつかない。なんとか調子を合わせた方が賢明だ、と判断し、
深呼吸し、周囲を見渡した。 そしたら、また女の子が続きのように泣き出した。
母親が、ヒステリックに「恥ずかしい子ね。もうどこへも連れて行きませんからね!」と女の子を日頃甘やかしているのか、躾けているのかよく分からないやりとりだ。女の子も更に意地になって、母親の非をこの時とばかり周囲に訴えるように
「うえ”~~ん」
とゼロ戦の爆音のように、ひくついて大泣きになった。
こりゃまずいことになった……。 こんなところで親子喧嘩や痴話喧嘩なんかしないでくれよ。今度はこっちが叫びたくなった。
さすがのくだんの運ちゃんも、打つ手がなく、お手上げのようだった。
仕方がない、ここはひとつ、私が莫迦になるしかないか、と覚悟を決め
「この辺は、畑が多いですね。あの桑のような葉っぱは里芋ですか?」と運ちゃんに振ってみた。
すると、運ちゃん、生き返ったように目を輝かせて、待ってました。良くぞ聞いてくれた。と言わんばかりに、さらに鼻の穴を里芋のように大きく膨らませて、ウルウル少女マンガのように、瞳をキラキラさせて フォルテッシモで
「あれが、全国一の出荷量を誇るぅ、茨城名産のぉ、蓮根です!!」
と、意気揚々、得意満面で客席一同を見回して、声高らかにしてやったりと、鬼の首を獲ったように言い放った。
これにはさすがの、泣き虫わらしも、ビクッとして、泣き止んだ。
思わず、お見事!と拍手したかったが
「おいっ、前、前見て、まえ!」
ただならぬ緊張感を感じたのか、また、女の子が大きく泣きだした。
あーあ、とうとう言っちゃった……」
知らんぞ、もう……。
全機、出撃用意っ!
(吟)








