ブログネタ:県民性ってあると思う?
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県民性。これはまた統計学的な民族性、地域的慣習、文化性など漠然とした最大公約数のキーワードにつひソウゾウの食指が伸びてしまった。
「県民性」という言葉の意味をどう解釈するかでしょうが、単純に考えればその地域の民意特徴を自治体ごとに仕訳するということでしょう。
あるいは血液型別性格タイプのような目安分類であってあくまで仮説の域に過ぎない仮留めのような話題、話のネタのようなものとも。
確かに以前は県民別一覧などとまことしやかに出版物などでお目にかかったものだが、そうなると辞書作りなどと同じように民俗学などその道の権威、柳田國男氏一門の敷いたレールを基に系統的に分類していこうという安易な依存に頼りたがるのがこれまでの一般的やり方。
ただ、ここアメーバブログ編集局さんはそんな大それたことは期待していないようで、素人の思い付きとか先入観、わずかな人生経験で接した相手の出身別特徴の有無を飼料に人物、人間に対する興味度を再認識させる呼び水であって深く考える必要はないようだ。
そもそも、標準語文化メディア情報化の現代、はたして一過性ではない県民性の特徴を正確に捉えられるものなのか。
仮にそれぞれ県の代表に出て来ていただいて、反応、判断、行動分析したデータがあったとしても、それがいつの世にも通用するなどと甘くは見ていない。
県民性を実地検証するにはその地へ旅行してみるとか、その地域のローカル番組を見てどのレベルにチューニングされているのか探って同調してあらゆる価値観の優位性を当地で測るのも一つの方法だと思う。
たとえば、テレ玉の「街美女アルバム」などもグローバリティとは異なる甘えのローカリティが溢れていて好感が持てる、実に県民性を前面に打ち出した番組である。
ちょうど今あの番組の出演者募集しているようなので美女は応募されてみれば。
(街美女アルバム出演者募集中 https://www.teletama.jp/machibijo/info.html )
街美女はその県の代表なのかどうか分からないがミスコンなどは産地保証ぐらいあるだろう。ただ表面的な応答だけで一概に県民性までは推し測れない。
そこへいくと代議員、国会議員などは県民性を反映している場合が多いのではなかろうか。
たとえばこの季節、雪国。新潟の代表、代議員であった田中角栄氏の挙措イメージは浮かぶだろうが、その背後の新潟県の県民性はどこまで正しく理解しているだろうか。
雪に閉ざされた越後、大自然の猛威の中で・・・・・・それでも歯を食いしばって生きていこうとする人々の支えになるものが・・・・・・人が人を信じる、愛に似た生きる支えになるよりどころ。
あのひとが頑張ってるのだから、まけちゃいられねえべさ!
そういう連帯意識 つながりが県民を勇気づけて、道路や工場いっぺえ作ってもろーて、出稼ぎにも行かなぐてもええし、娘っ子売り飛ばさなくでも、間引きしなぐでもよーなったんでねーのけ。
そんでついに日本を動かしてきたんでねえのけ。
しまいにゃ見ず知らずのアメ公だかに濡れ衣着せられて かわいそーやったけんど・・・・・・。
しばれる雪の中で血を通わせて人間らしゅう生きるための浪花節のどこがいかんとね。
どだいアメ公なんぞに分かりもはんたい。
そんな日本人の情を尽くした郷土愛と勇気ある人間の犠牲のおかげで、いまはみーんな しあわせそーな笑顔でいられるんでねーのけ。
まっこと ええ時代になったがや。感謝ば忘れよったらあきまへんで。
おおきに。(吟)
(参考文献: 津本陽 「異形の将軍・田中角栄の生涯」 (幻冬舎) より~)