12.25 映画「硫黄島からの手紙」 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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<栗林中将>米国からの手紙、少年期の日記など発見



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 太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島で日本軍の指揮を執った栗林忠道中将が少年期に書いた日記や米国留学時代の書簡など約300点が、長野市松代町の生家から見つかった。公開中の映画「硫黄島からの手紙」の主人公として脚光を浴びている栗林が、子供のころから感性豊かで、観察眼に優れていた様子をうかがわせる初の資料で、25日発売の「週刊現代」(講談社)1月6・13日合併号で紹介される。
 資料は11月、栗林忠道の兄・芳馬(よしま)の孫で現在生家に住む栗林直高さん(61)が、同誌記者の取材を前に土蔵を整理した際、「私物箱 倉田忠道」と書かれた木箱を発見。忠道が生家にあてた書簡などを納めた箱も見つかった。
 忠道は、1歳で地元の士族・倉田家の養子となり、18歳で栗林姓に戻った。木箱の中は、倉田姓時代の10代の日記や学習帳、スケッチなどが中心。日記には起床後の行動が記され、高等小学校の学習帳には、コイの解剖図の上に別の薄紙に描いた外観図を張り付けるなど、勉強熱心できちょうめんな性格が分かる。
 また、植物や日露戦争の場面を描いたスケッチのほか、高等小学校時代の通信簿が残っていた。算術などの成績には乙、丙、丁もあった。軍が募集してのち流行歌となった軍歌「愛馬進軍歌」の選定にもかかわったことで知られているが、唱歌の成績は乙だった。
 37歳で米国留学し、初代カナダ公使館付武官となった後年を示すように、英語を特に熱心に勉強した様子もうかがえる。「万国地理」と名付けた学習帳には、米国の地理や産業、国民性などを詳しく調べた記述があり、「金鉄石炭石油銀豊カナルコト世界無比ト称セラル」と評していた。
 直高さんは「頭で考えたことが、そのまま絵に表現されて完成度も高いことに驚いた。大叔父(忠道)はアメリカ仕込みの合理主義者と言われていますが、その資質は幼少期に確立されていたと思う」と話している。
 忠道は硫黄島の激戦で日本軍約2万人を率い、戦死の直前に大将に昇進した。地元の高等小学校、中学校に入学したが、養子だったことを含め幼少期のことはほとんど知られていなかった。
 ◇知米派形成の一端
 ▽ノンフィクション作家、保阪正康さんの話 エリートを養成する幼年学校よりも、一般中学で学んだ軍人はバランスがいいと言われる。彼らが何を学び、どう精神形成をしたかはよく分かっていないが、今回の発見はその一端をうかがわせるものだ。栗林は子供のころから英語に親しみ、世界地理を熱心に学んでいた。こうした姿勢が陸軍では珍しい知米派となることにつながったのだろう。


12月25日3時2分配信 毎日新聞