久しぶりに嵐山 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

翌朝、みんな帰るらしいので、1人嵐山に向かいました。コロナ中に松尾大社から来て、渡月橋の向こう側に人がいっぱいいたので、ここは空いてないんだなあと、引き返して以来かなと思います。



朝一から動き始めたので、渡月橋にはまだそんなに人はいませんでしたが、



天龍寺は節分の行事で賑わい始めておりました。そこはさくさくと通り過ぎます。



竹林の上の地区を目指して、別の道から天龍寺の裏手に周り、てくてくと歩いていると、西行井戸の旧蹟がありました。



黒いホースが風情を無くしておりますねえ。無くてもそんなに風情はないか😅


西行井戸は西行さんがこの辺りに庵を設けていた時に使っていた井戸とのことですが、二尊院にある西行の庵跡がそれなのか、転々としていたのかはわかりません。二尊院だと近いけれど、少し離れているような気にもなります。



その二尊院ですが、今回は通過。



祇王寺



冬でも苔が綺麗です。



祇王さんは平清盛の寵愛を受けておりましたが、清盛の心が仏御前への移ったと知り、母親の刀自と妹の祇女と共にこの地にあった嵯峨往生院で出家した。


萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき


仏御前もまた、去り際に祇王が残した歌を読む、栄華とは儚い物だと悟ったことから、清盛の元をさり、この地で出家した。


本堂には、刀自、祇王、(清盛)、本尊大日如来、祇女、仏御前の順番で木像が並んでいるが、清盛の像は柱の影で見え難い場所にある。



瀧口寺は祇園寺の裏手にある。



瀧口寺の本堂。もと往生院の子院三宝寺のあった場所。



季節が季節だけに、静寂な庭というくらいかな。



こちらは平重盛の家来、斎藤時頼と建礼門院の侍女である横笛との縁の地として再興された。


横笛は清盛の娘なので、こちらは身分の違いで結ばれなかったゆたならという話です。



庭の竹林



新田義貞の首塚


桐生の善昌寺に行った時にも新田義貞の首塚があったが、諸説あって小田原にもあるそうだが、この首塚は妻である勾当内侍が当地に葬ったと伝わる。


ちなみに新田義貞の墓は、戦死した福井県坂井市、称念寺にある。


どれが本当なのかはわかりませんが、



妻の勾当内侍の供養塔


足利尊氏という人は、戦った楠木正成の首も家族に返したくらいだから、妻に渡すってことは充分に考えられます。


ね。