親父殿はベッドで「何が何だかわかんねえんだよ」と怒りながら叫んでいた。わからないだろうが説明をして、仕方がないから肩を揉んで誤魔化した。
肺炎は治ったが、再発の危険があるからと鼻からチューブを入れて栄養を補給することになった。主治医が力説するから承認はしてみたものの、実際は延命みたいな感じでなんだか可哀想だった。それからは会話はなくなった。次に行った時にはゼイゼイと呼吸の音が聴こえて、苦しそうだったが、その次に行った時はそれはなかったが、薄目をあけるから見返すと目をつぶって、話しかけても首を振るだけだった。
それでも主治医からは病状が安定してきているので、長期療養病床のある病院への転院が示唆された。
次に主治医からは中心静脈への輸液を強く求められた。もう腕の静脈での点滴は厳しいのだということだった。あとで調べたらこれこそ、延命そのものとなる可能性がある医療行為だったので、少し悩んだ。
悩んだが、それから1週間もしないうちに亡くなった。呼吸が浅くなっているという連絡があり病院に向かったが、死に目には会えなかった。会えたところで、おそらく意思の疎通は不可能だっただろう。
10月4日だった。急に冷え込んで亡くなる人が急増したらしく、葬儀屋は12日まで葬式が出来ないと言った。
あとでわかったが、そうなるとほとんどやれる事がない。
地元では親戚以外には話さなかったので、普段通り、NINOKURAでランチ食べたり、誕生日が来ておめでとうとか言われながら、普通に過ごした。
串のセキネでジャンボチャーハイ飲んだり
鉄板焼きしたり
お布施揃えたり。葬儀屋によれば、天台宗と日蓮宗は高いんだとか。まあ、40年近く前、お袋の時に言われた金額よりは安かった。その時は親戚で総力かけてねぎったようだが。
日本酒飲み比べと
鰻くったり。まあここは生前、親父殿との最後の外食をした場所のような気がするので、これも供養かなと思った。
初七日が過ぎて、ようやく葬式が出せた。
安置料とかなんだかんだと、家族葬だけど100万以上かかった。
葬儀屋から銀行に亡くなったことはわざわざ言わなくても良いですし、どこからも連絡は行きませんからと言われたので、預金は必要なだけ卸したし、まだ卸せるんだけど、そろそろ相続の手続きに向けて凍結して残高証明貰わなくっちゃいけないな。
忌引は就労規則で連続取得という決まりがあったので、最初の週は有給使って、葬式の週に忌引にした。葬式翌日の金曜日で市役所とか水道局とか飛び回って、ガス、電気、電話には連絡した。
翌土曜日は何も出来ないから名古屋に出張した。土曜日は出勤して平日に休みを取れるようにしないと書類揃えられないからね。
あと不動産登記は司法書士に連絡したら必要な書類を揃えてから来てくださいと言われ、それが面倒なんだよなと思ったが、知り合いの社長から紹介された税理士は、土日でも良いですよといってくれているので、これはずいぶん助かる。
ね。






