朝方でないと、落ち着いて眺められないからね。その足で八坂神社を抜け、円山公園を通って雙林寺の特別公開の最終日に行きました。

天台宗 霊鷲山法華三昧無量寿院沙羅双樹林寺(通称 雙林寺)
名称からしてなんだか由緒あるお寺のように感じますが、805年桓武天皇の勅願により最澄が創建したのが始まりと伝わります。
平安後期になると後白河天皇に仕えた平康頼、西行などが隠棲した記録があり、1384年、国阿が入寺して時宗の道場が置かれましたが、その後衰退しました。
江戸時代には高台寺や大谷祖廟の造営で寺地を献上し、明治初年に天台宗に復帰したものの、円山公園の造成に土地を上地、現在の本堂と飛地境内のみとなりました。
円山公園から高台寺までのエリアが寺領であったとすると、ずいぶん大きな寺院だったことが伺えるが、現在は観光客も少なくひっそりとしたお寺で、実は弁慶はかなりお気に入りのお寺なのである。
北面の武士だった西行は23歳の時に突然出家し、その翌年から雙林寺塔頭、祭華園院に止住した。この花月庵は元々はその祭話園院の跡地に建てられたが、のちに現在の場所に移された。

雙林寺がその土地を献上した大谷祖廟は、雙林寺の背後側に参道がある。祖廟とは宗祖親鸞の墓のことである。
大谷祖廟は真宗大谷派(東本願寺)に属す。実は西本願寺の浄土真宗本願寺派には、大谷本廟というもう一つの親鸞の墓があり、それは清水寺の五年坂の入口のところにある。

本堂。
本来は修行のお山なのに観光色の濃い比叡山などと比べると、訪れる人は神妙な雰囲気をもっている。花を供えたりして拝礼する参拝者からは親鸞への帰依を強く感じられたので、なんだか肩身が狭いから早々に立ち去ることにした。

時宗 黄台山 長楽寺
雙林寺と同じ805年に勅命により最澄が延暦寺の別院として創建したと伝わる。その境内は円山公園の大部分や大谷祖廟の大半を含む広大なものだった。つまりこの一帯はもともとは雙林寺と長楽寺だったことになる。

先斗町歌舞練場。初回は12時30分開始なので、12時過ぎに到着。
さすがに4回目なんで、り列13番がど真ん中だということは理解できた。
パノラマで撮るとちょっと遠く見えるけれど、そんなことはない。
右の舞台と同じレベルの席は北席で、一番最初にインターネットで予約した時はここの前から3番目だった。けっこうよく見えたし、地方さんの席が、左の同じ場所になるので、よく見えた。花道は左の地方さんの席の前。背後には二階席もあって、ちょっとお安く観ることも可能。
三幕の山吹は松尾大社のしゃもじを持って踊るんだけど、その中でしゃもじを徳利に見立て、扇を大盃に見立てて皆んなで酒を注ぎ1人が飲み干す場面があって、亜弥さんは飲み干す役だった。3組の中で一番酔っ払っていたように思う(爆)。
秀芙美さんは組が違うと役も変わるので、よく間違えないなあと関心した。3組全て観るとわからないなりにもなにか感ずるものはあって、それはどういうことなのかなぁとか、また興味が湧いてくる。
ちょうど今日が千秋楽でこれから幕が開くけれど、無事最後まで公演できて良かったと、コロナを感染させかねなかった弁慶は思うのでした。
ね。












