リハビリに鴨川をどり(後編) | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

朝食を食べる前に高瀬川沿いを散策。夜はただの歓楽街化するこの木屋町の高瀬川沿いは、彦根藩邸の跡とか土佐藩邸の跡があります。


朝方でないと、落ち着いて眺められないからね。その足で八坂神社を抜け、円山公園を通って雙林寺の特別公開の最終日に行きました。


天台宗 霊鷲山法華三昧無量寿院沙羅双樹林寺(通称 雙林寺)

名称からしてなんだか由緒あるお寺のように感じますが、805年桓武天皇の勅願により最澄が創建したのが始まりと伝わります。

平安後期になると後白河天皇に仕えた平康頼、西行などが隠棲した記録があり、1384年、国阿が入寺して時宗の道場が置かれましたが、その後衰退しました。

江戸時代には高台寺や大谷祖廟の造営で寺地を献上し、明治初年に天台宗に復帰したものの、円山公園の造成に土地を上地、現在の本堂と飛地境内のみとなりました。

円山公園から高台寺までのエリアが寺領であったとすると、ずいぶん大きな寺院だったことが伺えるが、現在は観光客も少なくひっそりとしたお寺で、実は弁慶はかなりお気に入りのお寺なのである。


その「誰だお前」って目で見ないでよ。3年ぶりなんだけど、君はあの時ずっと寝てたからだよ。

なぜか飛地との間には石屋さんが2軒もある。この犬は隣の石屋の飼犬らしい。


飛地の花月庵(西行堂)。石塔に書かれた文字は「ニラ、ニンニク、肉食ったら入っちゃダメだかんね」という意味らしい。左手奥は雙林寺の墓地になっていて、右隣は西行庵。


北面の武士だった西行は23歳の時に突然出家し、その翌年から雙林寺塔頭、祭華園院に止住した。この花月庵は元々はその祭話園院の跡地に建てられたが、のちに現在の場所に移された。


雙林寺がその土地を献上した大谷祖廟は、雙林寺の背後側に参道がある。祖廟とは宗祖親鸞の墓のことである。

大谷祖廟は真宗大谷派(東本願寺)に属す。実は西本願寺の浄土真宗本願寺派には、大谷本廟というもう一つの親鸞の墓があり、それは清水寺の五年坂の入口のところにある。


本堂。

本来は修行のお山なのに観光色の濃い比叡山などと比べると、訪れる人は神妙な雰囲気をもっている。花を供えたりして拝礼する参拝者からは親鸞への帰依を強く感じられたので、なんだか肩身が狭いから早々に立ち去ることにした。



時宗 黄台山 長楽寺

雙林寺と同じ805年に勅命により最澄が延暦寺の別院として創建したと伝わる。その境内は円山公園の大部分や大谷祖廟の大半を含む広大なものだった。つまりこの一帯はもともとは雙林寺と長楽寺だったことになる。


山門から石段を登って本堂へ。山の斜面に張り付くように境内が続いている。本尊の准胝観音は、天皇即位時にしか開帳されない勅封厳秘の本尊である。

1385年、時宗の僧、国阿が中興し、時宗に改めた。

1745年、徳川吉宗が一万坪を長楽寺から没収し、それを大谷祖廟に寄進した。さらに明治4年の上知令により没収された土地は円山公園へとなり、このような斜面だけが残ったというのは、少し寂しさを感じる歴史である。


石積供養は白い石を本堂と鐘楼の周りに撒いて供養する。

とにかく静寂なお寺である。


頼山陽、頼三樹三郎の墓、および松平昭訓の墓など幕末期の水戸藩の関係者の墓がいくつかある。この墓地へも石段を登っていく。


建礼門院御塔は、本堂の左奥に建っていて、建礼門院の毛髪を埋めたとされている。


平安の滝は、その建礼門院も打たれたという滝行の場。

時は流れ1906年、時宗遊行派の七条道場金光寺を合併した。本堂左奥の収蔵庫には、この金光寺より受け継いだ仏像が安置されている。


書院の庭園は相阿弥の作庭で、足利義政が銀閣寺の庭園の試作として作らせたとされる。

長楽寺の小一時間の散策の間、見かけた人はたった2人だけであった。

木屋町に戻り、ブランチというには遅い朝食兼昼食は、簡単に王将で済ませた。


微アルコールドリンクなど、飲んでみた。けっこう美味しい。


先斗町歌舞練場。初回は12時30分開始なので、12時過ぎに到着。



さすがに4回目なんで、り列13番がど真ん中だということは理解できた。



パノラマで撮るとちょっと遠く見えるけれど、そんなことはない。


右の舞台と同じレベルの席は北席で、一番最初にインターネットで予約した時はここの前から3番目だった。けっこうよく見えたし、地方さんの席が、左の同じ場所になるので、よく見えた。花道は左の地方さんの席の前。背後には二階席もあって、ちょっとお安く観ることも可能。


三幕の山吹は松尾大社のしゃもじを持って踊るんだけど、その中でしゃもじを徳利に見立て、扇を大盃に見立てて皆んなで酒を注ぎ1人が飲み干す場面があって、亜弥さんは飲み干す役だった。3組の中で一番酔っ払っていたように思う(爆)。


秀芙美さんは組が違うと役も変わるので、よく間違えないなあと関心した。3組全て観るとわからないなりにもなにか感ずるものはあって、それはどういうことなのかなぁとか、また興味が湧いてくる。


ちょうど今日が千秋楽でこれから幕が開くけれど、無事最後まで公演できて良かったと、コロナを感染させかねなかった弁慶は思うのでした。


ね。