二十三夜寺まで行ってみた | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。



ウラルを走らせて秩父方面に行ってきました。これはドラレコで記録した映像ですが、カメラはサイドカーの先端についています。サイドカーにとってワインディングロードは操作が難しいです。特に右に曲がるのは怖いんですよ。


このウラルというサイドカーは、ロシアで生産されてはいますが、実は現在はアメリカ資本で、本社はアメリカにあります。冷戦時代の終了を象徴のような車両でありますが、それゆえに今回の侵略戦争では困ったことになっています。


現在、工場での新車生産は停止されましたが、部品の生産は続けているそうです。ただし、それが輸送できるとは限りません。




早く平和が取り戻されることを祈ります。


ユニセフのウクライナ緊急募金


こちらと、楽天でも募金があったので、溜まったポイントで募金させてもらいました。


さて、寒さとラリーの準備があったので、久しぶりのウラルでしたが、巡礼した時に何回か前を通って気になっていたお寺に行ってみました。



二十三夜寺。通称です。


正式には師慶山医王寺といい、真言宗豊山派のお寺となります。


秩父十三仏巡礼のお寺で、聖徳太子の創立、本尊は勢至菩薩。地元の人たちからは、三沢の三夜様と呼ばれ、親しまれているそうです。


なぜ気になったかといえば、二十三夜寺という名前ゆえです。二十三夜といえば、月待講。月待講で二十三夜と言えば勢至菩薩。


来てみればやはり勢至菩薩が本尊ということだし、三夜様というのも二十三夜待が三夜待とか三夜供養と呼ばれていたことにも通じます。




仁王門。ここまで来るのもずいぶん登ります。




本堂は更に登ります。段々畑みたいに山の斜面を開いて作られたのでしょう。本尊は勢至菩薩ですが、愛染明王の旗が建っていました。




球歴の二十三日限定の御朱印は愛染明王でした。愛染明王は月待講だと二十六夜待の本尊なんですけどね。




薬師堂とお地蔵さん。


聖徳太子がこの地を訪れた際に、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。ここは仏法隆盛の地であると感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して草庵に安置、医王善逝の寺としたという縁起があるそうです。


その後、聖武天皇の時代に行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けた。


秩父観音巡礼のお寺でも行基作の観音像はいくつかあったので、この辺になるとずいぶん現実味のある話しになりますね。その後に弘法大師が来る話になるのですが、まあこのへんで。




梅が咲いてました。良い天気で予報より暖かく感じました。


ね。