都幾山 一乗法華院 慈光寺 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

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朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

同僚の奥さんが亡くなったので葬儀に参列しました。まだ51歳なのに。無情ですな。


東松山だったので、参列後、ときがわの山寺に行ってみました。



都幾山 一乗法華院 慈光寺

路線バスが通っているようで、途中ですれ違いました。でも、ところどころすれ違えない場所がある細い道で、数十メートルバックしました。そんな道が約2キロ続きます。(ほとんどはすれ違えます。)

この駐車場はお寺の入口より50メートルほど先にありました。



山門

慈光寺は天台宗のお寺です。770年 律宗の僧 道忠により創建。平安時代に天台宗の別院となったそうです。

本尊は千手観音。



本堂

本堂は阿弥陀堂と言う名の通り、阿弥陀如来が祀られていて、小さい千手観音と本尊の写真がその脇に祀られておりました。



その本堂で御朱印を頂きました。

先日の慈恩寺は坂東12番札所でしたが、こちらは9番でした。



鐘撞堂。時の鐘と書いてある。昼に12回の鐘を撞く。

参拝者も一緒に撞いているところです。1回撞くごとに合掌し、経を唱えます。

大木は慈覚大師円仁が植えたと伝わる多羅葉の木。葉の表皮に棒などで文字が書ける。葉書という言葉の語源となった木。(埼玉県指定天然記念物)

はい、出ました。慈覚大師。岩槻の慈恩寺の創建でその名が出たばかりですが、おさらいしますと、天台宗山門派の祖です。ついでに申しますと、山形の山寺、立石寺を開いたのも慈覚大師です。



宝物殿(300円)

管理者不在の時は本堂で払う旨書いてあるので、とりあえずドアを開けると賑やかにチャイムがなり、どうやら不在のようです。とりあえずお金を払いに行こうかなと思って外に出ると、住職の息子さん(本堂で他の参拝の方との会話からするとそうなんです)が飛んできて、説明してくれた。

源頼朝からのお願い状がありました。世の中に頼朝からお願いされた書状は3通しかないとのこと。その他は下知とかお願いまでは行かないレベルの書状で、お願いしてしまうと下に立つことになるから征夷大将軍になった頼朝には、そのような物は当然少ないのです。

書状は後世に書き写されたものなので国宝にはなってません。しかし、京都の妖怪堂でちょうどその話を聞いたのですが、室町時代以前だと紙の質が悪くて残っているものは稀なのだとか。室町以降になると、結構残っているのだけど、鎌倉時代、しかも田舎の鎌倉に流通していた紙の質はそんなに良くなかったはずなのです。当然、ぼろぼろになりますよね。

だから当時はこのような書状は、書き写して残しても同一の物と認識されたというのが、住職の息子さんの話でした。



弘法大師の筆による隅寺心教

ここは天台宗のお寺なのに、なぜ弘法大師(空海)なのか、とも思うでしょうが、最澄さんは密教については勉強不足だと思って弟子を空海の元で学ばせたというから、そのへんはどうでも良いのです。

日本人は神棚だって拝むし、クリスマスも祝うのだからね🤣。



こちらは紺紙金字一字宝塔心教。唐招提寺蔵。

唐招提寺は律宗。そうです。創建した道忠は律宗でした。唐招提寺の高僧だったそうです。



先の見えない石段。ちょっと帰りたくなるけど。



観音堂

本尊の千手観音はこちら。



梁の下には奉納の白馬がありました。左甚五郎作との伝承があります。夜な夜な暴れて田畑を荒らしたので、ここに封印されたようです。

いくつも千社札が貼ってありますが、千社札を貼るにはお布施を100万円出さないといけませんと書いてありました。



青石塔婆

本堂から500メートルくらい麓に降りたあたりにあります。ここは慈光寺の山門の跡なのだそうです。鎌倉から室町にかけて建てられた石碑です。



説明を見ると以前は上の画像の左1/4あたりに楓の大木があったようです。

今日は台風対応で徹夜明けなので、眠いです。

ね。