昨日の夕方、保育園からの帰り道。
ぶらぶらと歩いていたんだけど、すっごく空が綺麗で、何度も足を止めた。
振り返って
「ほらー、もう行くよー!」
と呼びかけると、
娘はぱっちりと目を開けてじっと空を見上げたまま、ピタリとも動かずに
「だって…おそらがきれいだからちゃ。」
と、答えた。
ついさっき「ママ〜?どうしたの?」と聞かれたときに
「だってさ〜、空がきれいだから、、」とわたしが答えた言い方をマネしてた。
娘の言葉も姿も、存在すべてが愛しくて、時が止まったように感じた。
もうこのままでいっか。
と思った。
家に帰らなくてもいいや〜って力が抜けた。
今、この瞬間以上に大切にしたいことなんてない。
わたしの全部がそう感じていた。
自分が本当に大切にしたいものを見つめるようになった。
世界の美しさに感動して心が震える毎日を生きるようになった。
自分好みの、ゆったりとした時間を過ごすようになった。
それでも、こうして立ち止まった時にいつも
意識が「ちょっと先」にいって呼吸が浅くなっていた自分に気づく。
時間に縛られて力が入っていた自分に気づく。
アタマでコントロールしようとしていた自分に気づく。
本当の本当にどう在りたいのかは、ちゃんと自分が知っている。
ゆっくり、肉体全部で感じながら、ふとしたときに足を止めながら歩くことが、それだけでこんなにもしあわせなんだ。
このジワジワと自分の内側が広がっていく感覚を味わいたくて生まれたんだ。
何かを残すためじゃなく、この肉体で感じるために生まれたんだよなぁ〜と思い出した。
この数日間、「焦ってることは何だろう?」と自問していたのだけど、
特に思い浮かばなくて
でも「ない」とも言えなくて
なんとなく漂っていた問いを、娘と空を見ながらまた思い出した。
「もし、永遠の命があるなら、今、何を焦るのをやめることができると思いますか?」
答えが出なかったその問いに、
もっと委ねていたい。
もっとそのまま在りたい。
という声が自分の奥から聞こえた。
本当はもっともっと
インスピレーションのままに在りたい。
本当のわたしがそう言っている。
気付いてしまった。
わたしは「そのままリラックスして委ねたい」と口では言いながら、
素直に願いを放っていたいと願いながら、
心の奥の奥では「そのままでは、いられない。」と思ってたんだ。
だって命に限りがあるから。
だって全て叶えるなんて無理だから。
無限に湧き出るままなんて、すくいきれない。
そのままなんて収拾つかない。
収拾つかないのはダメなこと。
気づかないくらい当たり前に、そう思っていた…
わたしの在り方は、
「放ちっぱなし」「掛けっぱなし」の姿勢とは真逆の
「収拾つけようとする」在り方だった。。
続きます♡




