実家は小さな会社を経営していて、ここ数年は社会貢献と称し、父が小学校の見回り防犯パトロールを続けている。
私が見るに、段々と足腰が弱くなりつつある中で、子供たちに放課後、声掛けをしながら歩くのもまた健康維持に役立っているのだろうと思う。
8年前からは年末、児童養護施設に歯ブラシ、タオルなどの日用品、百科事典、本、そして寄付をしている。
孫とさほど変わらない子供たちと接し、『また来てね!」と屈託のない笑顔で別れの挨拶を交わした後で、父は車を運転しながら泣けて仕方ないとつぶやいていた。
今年父が倒れ入院したのだが、幸い軽く済み、約2週間ほどで退院し、ほぼ通常の生活に戻ることが出来たものの、車の運転は差し控えている状態だ。
今年もまた恒例の児童養護施設へ伺う日がやってきて、今回は私が運転することになった。
そうこう言いながらも、現に私も母親の一人。
正直子供たちに会うのが怖かった。
なんだか泣けてしまいそうで…
左の古びた白の建物が職員棟。
真正面の赤い屋根が子供たちが住むホーム。
平日の昼間だったこともあり、子供たちは皆、学校に行っていて、時折目にする方は施設の職員ばかりでホッとした自分がいた。
施設は古びた、且つ冷たいコンクリートの建物を想像していたのだが、外観を見る限り、明るくごく普通の家並みが並んでいた。
先ず職員棟に行き、寄付を。
以前、高校生が医師を目指すべく医科大学に合格するも金銭面で難しく、入学を辞退した旨を聞いた両親が、今年からは育英資金に切り替えた。
話を聞くと、義務教育の中学までは塾代が出るのだが、高校からは出ず、寄付に頼らざるを得ない状況だという。
育英資金は塾代、参考書、入学金などにも当てられるのだ。
去年は両親を含め、25名分の育英資金454,000円が集まり、2名が大学、その他専門学校などに進学を果たすことが出来たそうだ。
私は何も考えず、もちろんお金の心配もせず、ごく当たり前に進学し、社会に出た。
しかし施設の子供たちはその当たり前のことが、どんなにか困難だということを今更ながら思い知る。
そんな自分を恥じた。
現在は18歳になったら、施設を出て自立しなくてはならない。
息子は17歳。
まだまだ未熟ゆえ、来年に自立など考えられないことだ。
進学を機に、18歳で自立するのはよくあることだが、両親の支えや援助があってこそ。
施設を出た子で何かあるたび施設の職員に相談できる子と、施設出身を知られたくないが為に、一人で抱え込み、孤独、貧困、そして非行、果ては犯罪に手を染めてしまう子も少なくないという。
来年度から自立が難しい場合は22歳まで引き上げるということが決まった。
個々の事情を汲み取らず、一定の年齢に達したことで支援が打ち切られる制度はおかしいとの指摘が相次いでいた。
昔はやはり偏見があり、そんなこともあったようだが、現在小学生は施設に学校のお友達を連れてきて遊んだり、中学生、高校生ともなると、自分から言う必要はないと、あえて事情は話さずに過ごしているという。
要は偏見、且つ差別があるのは各家庭の親が、施設の子供たちのことをきちんと説明せず、配慮するよう躾けないことが何よりの要因だと思う。
それを怠るから原発いじめ、弱い者いじめなどがあとを絶たないのだ。
親が施設の子供たちを色眼鏡で見れば、当然子供たちも同じように色眼鏡で見るようになる。
事情があり、親と暮らすことが叶わないだけで、子供たちには何の罪もないのだから。
「小さい子をまきこまない。」
異年齢の子が集まってこその思いやりだ。
『みんなで楽しく 笑って過ごせますように。』
私たちと何ら変わらない、家族のひとつの形なんだと思う。
みんなでひとつの家族。
子供たちが何の心配もなく、明日が来ることを待ち遠しく思えるような、そんな優しい社会でありますように。














