今年の夏は極めて短かった。そして1つのピリオドを打った。これまで、いくつか打ったピリオドよりも、今度はよりはっきりしたピリオドだったと思う。この15年間を振り返ってみると、ツアーとレコーディングと渋谷周辺の風景が早送りのビデオを観るように思い浮かべることができる。リハーサルから始まって、初日のベルが鳴り、最終日のアンコールの拍手で、またスポットライトの光の渦に迎えられたツアー。僕はホテルのベッドで横になり、酔った身体の中の、心臓から押し出される血の流れを感じながら眠った。気持ちのいい眠りだった。ツアーが終わると、公園通りの店で薄いコーヒーを飲んで、僕たちだけがわかるジョークで笑い合った。何度も何度も夏が来ては去って行った。新しい事と新しい恋人、つややかなボディーが雨風に晒され輝きを失うと同時に、恋人も新しいままではなかった。なぜ、もっとはっきりと心の中を伝えられなかったのか。なぜ、あんなふうに冷たい言葉を投げつけたのか。上質なシルクのシャツでも、ごわごわとした肌ざわりの綿のTシャツでも、どちらでも良かったことなのだ。ささいなことがきっかけで大きなものを失うーーその繰り返しだった。風にざわめく木の葉の間をすり抜けてくる眩しい日差しに目を細めながら、あのままずっとみんな一緒に、どこまでも並んでゆけると思い込んでいたのだ。思えば、長い距離を走るマラソンランナーのように、それほど意気込みはなしに僕はゆっくり走りだした。不安や苛立ち、そして優しさ。スタジオに入ってマルチに音を重ねてゆくことが、その時の僕のエネルギーをぶつける唯一の作業だった。どのシーンもメロディーになると穏やかになる。詞の創作に苦しんだ夜のことは忘れてしまう。鶏が次々とたまごを産むように形にして、気がつくとすでにレコードショップに整列していた。20枚という数のアルバムが残ったのだ。そして僕はやっと一人になった。自分でも考えもしなかった不思議な気分だ。僕は今、未来というステージに立つVISITORとして、次に起こるであろう予想もつかない出来事を描いて、胸をふくらませている。1988年10月 天野滋。