このテーマは、お母さんの
肺がん闘病記がメインです。
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お昼を食べ終わったら、
入院手続きにに必要な
書類をたくさん書いた。疲れた。
お母さんの趣味や、家族関係の図など、
お母さんのことを問う質問が多かった。
これを元に、お母さんの看護計画が
作られたと、後でわかる。
従姉妹がスイカやお菓子を持ってきて
くれて、美味しく食べた。
ホスピスには、共用の
大きい冷蔵庫が2つあって、
部屋番号などを明記して
使えるようになっていた。
給水機は衛生上、設置してないとのこと。
お水は自分達で用意する必要があるけど、
コンロやお皿等は自由に使えた。
お母さんが窓際のソファに
座って外を見たいというので、
酸素のチューブを伸ばしてもらった。
そして、この後に及んでも私は
伯母と従姉妹の前で、
お母さんがいないとダメだよ〜って泣いた。
いっぱい泣いた。
ダメな自分をいっぱい見せた。
伯母は、この人はもう十分
頑張って来たから、
早く解放してあげたいとも思うと言った。
その通り。でも、嫌だ。
お母さんの望み、気になること、メモ。
酷なようだけど、
棺に入れて欲しいものとかも聞いた。
そしたら町内に訃報を回すとき、
「皆様には良くしていただいて
感謝しております。」と添えるように
と言った。
(弔問を想像して、)
私はお茶の出し方すらわからないよ〜と、
また大泣き。
お母さんも、早く年賀状を作って欲しい。
お世話になった人たちに一言ずつ
書きたいと言った。
年賀状は出せないよ…と、思いながらも、
じゃあ私がメモしておくから、
順番に言って、と促した。
どういう理由か忘れたけど、
お母さんの一言は2人分しか
メモできなかった。