翔「ご無沙汰しております」
智「こちらこそ」
大袈裟に挨拶を交わし握手をして
翔さんがこっそり耳打ちしてくれた。
翔「元花魁と一夜を過ごしたい人々から
どんどんオファーが来るんです」
智「・・・・・」
翔「もちろん。全てお断りしてますよ。
大野さんが多額の身請け金を支払われた。
そのことは、皆さんも重々承知です」
重々承知と言いながら
随分と失礼な話だ。
和也はもう自由の身であるのに・・・
それに。
金で買ったみたいに言わないで欲しい。
もう・・・負債はない。
和也の尊厳のために言っておくが
もう既に自由の人だ。
和也の自由な意思で
俺と一緒にいるんだ・・・
だけど。
俺をなにより悩ませるのは・・・
翔さんからオランダの話を聞き
無邪気に行ってみたいと
目を輝かせている和也だ。
和也の望むことは全て叶えてやりたい。
それは俺の楽しみでもある。
オランダへ行きたいなら
俺が連れて行きたい。
なんでも見せてやりたい。
その一方で。
危険な目には遭わせたくない。
良くない思惑も考えられるから・・・
この頃の日本は。
不平等な条約さえ改善できないまま
欧米列国からまともに相手にされず
連夜の舞踏会でも成果をあげられずに
首脳陣達は頭を抱えていた。
そこで。
伝説の花魁による性接待を持ち出し
まずオランダから突破口を開こう
という思惑なんだろう。
どうしたものか。
どう動くのが正解か。
俺は冷静に考えようとつとめていた。
そして。
その時はすぐにきた。
まさか此処で
この鹿鳴館で
国の重鎮によって
五年前の悪夢が甦るとは・・・
にこやかに近付いてきたその人こそ
時の外務大臣、井ノ上卿だった。
「元花魁と一夜を過ごしたいという
オランダの公爵が貴方を探しておられる。
この絵に描かれているのは、和殿。
お国の為に、一肌脱いでいただきたい」
失礼な申し出に怒りで狂いそうだ。
拳にぐっと力を込めた。
俺の人に向かって
一夜を共にしたいなど・・・
それは。
毅然とした態度で断らなければ。
井上卿「元花魁は伝説になっている。
大野さんの絵のおかげだ。
是非、オランダへ渡って欲しい。
いや。もうこの話は決定している。
向こうでも段取りは全て付いている」
渡されたものは
豪華客船のオランダへの片道切符。
片道・・・
帰りの切符なしに行かせる気か。
しかも横浜港からの出発は・・・
もう数日後に迫っていた・・・
智「私が同行します」
井ノ上大臣「あいにくチケットは
一枚しか手配出来ていないのですよ」
智「何も問題ありません。
商船三井か三菱郵船に融通して貰います」
意地でも。
俺が和也を守ってみせる。
智「こちらは国民の血税と見受ける。
お返しいたします」
外務大臣の鼻の先に返してやった。
智「私がちゃんと連れて行きますので」
ここで断れば。
無理矢理連行されるだろう。
こういうことは。
公明正大にやりたい。
陰でコソコソなんてしたくない。
この広間にいる大勢が証人だ。
智「失礼します」
和也には。
如何なる負債も負わせない。
和也の衣食住に関わる金は。
全てこの俺が出す。
そう決めていた。


