くしゃくしゃの布団にうまいことハマりこむお嬢さん

 

 

和数秘学®では、女性の人生を見る際には過去数の影響が大きいのは思春期(初潮)頃まで、未来数の影響が強まるのは更年期あたり(40代前後)から、と言ってる。

 

 

身体が大きく変化する際に、内面も影響を受けるだろう、と考えるから。

 

 

そしてこれらは、「自分を見つめ直すチャンス」のタイミングだとも考えてる。

 

 

思春期ごろというのは、そろそろ親に与えられた価値観に疑問が生まれて「本当に親の言いなりでいいのかな?」と考え始める。

 

 

更年期あたりだと、子どもがいれば少し子育ても落ち着いたり、働いていればそのまま同じ仕事を続けていくのかと将来に迷ったりして、「このまま人生を終えていくのか?」と考え始める。

 

 

これを「チャンス」と呼ぶのは、割と多くの人が何かを言い訳にしてそのタイミングを自ら逃してきてるのではないかな?と思うから。

 

 

かくいう私は一度目のチャンスを思いっきり逃した。

 

 

逃しまくって親の価値観に縛られながら、20代30代と親と世間を呪って生きていた。

 

 

呪いにエネルギーを費やしている間は、基本的に「他責」。

 

 

そして「他責」が染みついてるうちは「重い」から浮上できない。

 

 

そういうことに40代の頃、2回目のチャンスをなんとかものにして気づくことが出来た。

 

 

そのきっかけは「大失恋」で、当時はそれですべてが終わったという絶望感と孤独感と自己否定の中にいたけど、今思えばそれぐらいの荒療治でなければ私は気づけなかっただろうから、ありがたい経験ではあった。

 

 

その分岐点がなければ、そして「こっち」を選んでいなかったらと思うとゾッとする。

 

 

多分ずっと被害者ヅラして他責で誰かを恨んだり妬んで、誤魔化せるものは誤魔化して、小ズルく何かをせしめることを日常で繰り返し、いつでも損得だけを考えて、満たされること無く周りにも疎んじられて死んでいったと思う。

 

 

中途半端な頭の回転の速さで、なんらかの犯罪を犯していた可能性すらあったと思う(詐欺的なこととか)。

 

 

もしくはろくでもない男に引っかかって、刺すか刺されるかぐらいはしていただろう。

 

 

誰かが「もったいない人生だった」と思ってくれたらまだマシで、「こんなはずではなかった」と最後に吐き捨てて汚部屋か路上で野垂れ死んでいたのではないかと、割と本気で考えることがある。

 

 

それがわかっているから、今は毎晩(それなりに)清潔な寝床で猫らに囲まれて眠る時「なんて幸せなんだろう」と思う。

 

 

そう思えるところまでたどり着いただけで「この人生は上出来なのではないか」と思っている。

 

 

別にこの先、もう何者にならなくても。

 

 

セッションで話す人の多くは、2回目のチャンスの最中にいるように見える。

 

 

何か大きな出来事があった人もない人も、今が変化のための大事なタイミングと知っていて、私に声をかけてくれたのではないかな、と思う。

 

 

そのセッションで私が話すのは数字から見えることだけで、あとはその情報をどんな風に落とし込んで活用するかはご本人次第。

 

 

セッションをやり始めた頃は、そういう人の人生を好転させたい気持ちがあったかもしれない。

 

 

でも今はそうは思っていない。

 

 

もうひとつの分岐点を進んでいた私がたどり着いたような、「こんなはずではなかった」と思って終える人生すら、本人には「選ぶ自由」がある。

 

 

だからセッションでの私の言葉が届いていないように感じられるときも、自分の力不足というのは一旦脇に置いて、「どういう人生を選ぶかは本人次第」という気持ちでいる。

 

 

相性の話で「相手を変えることはできないのですよ」と語る時と同様に、セッションで私が依頼者を変えることはできない。

 

 

私自身がセッションでエネルギーを削られたように感じるときは、大抵自分がわかってるつもりのくせに「相手を変えようとした」ときな気がする。

 

 

もっと淡々と「それぞれがそれぞれの人生を生きるのだ」と完全に割り切れたら、エネルギーを削られたなんて感想にはならないだろう。

 

 

まだ完全にそこに至ったようには思えないから、エラそうなことを言ってもまだまだ私も修行が足りない。

 

 


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