セッションしてると、「過去に辛かった自分が今は随分楽になったから、過去の自分みたいな人に対して少しでも楽になれるような手助けがしたい」っていう人が結構多い。

 

 

その気持ちはもちろんわかる。

 

 

私だって数秘を知って自分の5的な資質を理解出来てから生きるのが楽になったし、同じように悩む5の人にそれを伝えたいと思ったりする。

 

 

でも気をつけて欲しいのは、まだ自分を充分に建て直していない人がそれをするのは危険、ということ。

 

 

どういうことかというと、「随分楽になった」はそれでもまだ「途中段階」ってこと。

 

 

愛やエネルギーを「貰えずにいた」人はそれを渇望して生きる。

 

 

そしてどこかのタイミングでパートナーや自分の子どもとの関わり合いの中で(もしくは信頼できる友人など)、愛やエネルギーが自分にも与えられていると思えるようになって立て直していく。

 

 

立て直しが進むと、自分も誰かに愛情を与えている実感が持てるようにもなる。

 

 

そう感じられるようになったら冒頭のように「誰かの助けになりたい」という発想も生まれる。

 

 

でも私は思うんやけど。

 

 

この段階ってまだ「貰ったものを分けてるだけ」な気がするんよね。

 

 

知り合いの農家さんからお米を貰ったから、それを誰かにも分けてあげよう、って感じ。

 

 

でもこれだと「貰ったもの」は減るばかりでいつか無くなる。

 

 

「分けてあげたい気持ち」は尊いけど、でも貰ったものはまずは自分の体力を充分につけるため、そして「愛を生みだす」力を身に着けるために自分で使う方がいいと思う。

 

 

米の例えで言うなら、「貰ったものを分け与える」んじゃなくて、自分でも米を育ててそれをおすそ分けできるところを目指したい。

 

 

自分でいくらでも生み出せるようになったとき、ようやく自分と相手の両方のためになる循環を作れると思う。

 

 

自分が持っているものを他人に差し出していくことは美しいし尊いとは思うよ。

 

 

でも自分を削ってまで人に差し出すことは、きっと「自然」ではない気がする。

 

 

その行為の裏に、「そうまでしてでも人の役に立たないと自分の存在価値はない」とでもいうようなネガティブなセルフイメージを感じたりもする。

 

 

そういうものを土台にした「奉仕」は、多分相手のためにもならないから結果的に誰のためにもならない。

 

 

他者に何かを与えたい、という気持ちが生まれたなら、その時のあなたは確かに「少し浮上したところ」にはいる。

 

 

でもまだ本調子ではないから、与えることで自分の存在意義をはかるようなことはしなくていい。

 

 

愛とかエネルギーとか「なんぼでも生み出せるで!」と思えるようになったら、じゃんじゃか与えまくればいいと思う。

 

 

「困ってる人」に何かを差し出すにもある種のタイミングはあるってこと。

 

 

今がそのタイミングかどうか、少し客観的に考えることは薄情でもなんでもない。

 

 

自分が自分の足でしっかり立っていなければ、他者のことなど構えない。

 

 

順序はいつも「自分が先」なんだよ。

 

 

セッションではそう声をかけたくなる人が思いの外多いし、実際そう伝えてもいる。

 

 

自分を満たすことは、わがままでも薄情でもない。

 

 

充分に満たされた人が差し出すものだけが、本当の意味で誰かに届く。

 

 

 

 

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