なぜ、あの人は、何はなくとも幸せなのか? | まなブログ

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トンでる?

 

 

 

昨日の続きです。

 

「歎異抄」名言ワーク。

 

最後に、こちら。

 

 

> 摂取不捨の利益

 

 

「絶対の幸福」と訳されます。

 

それこそ、生きる目的だと。

 

 

どれほど悪事に手を染めてきた人であろうと。

分け隔てなく、救う。

 

しかーし。

 

それには、ひとつだけ条件が。

 

 

> 仏称えようと思いたつ心のおこるとき。

 

 

阿弥陀仏の救いを信じた瞬間。

つまり、「自力」から「他力」へのシフト。

 

自分で人生を切り拓いてると思う限り。

「他力」のサポートを受けられない。

 

 

っていうか、「おこるとき」さえ。

「自力」では決められない。

 

「他力」により。

自ずとそう「なる」から。

 

 

いつそう「なる」かは、わからない。

けど、楽しみにして。

ゆだねるのがイイんじゃない。

 

そうなればいいけど。

そうならなくてもいい。

 

自分でそうすると決めること。

「信頼」だね。

 

 

親鸞さんは、師匠の法然さんを信頼。

ただ念仏を唱えることで、往生できると。

 

本当にそうなの?

 

ツッコミが入ろうとも。

 

 

> 念仏は本当に悟りの世界へ導くもとになるのか、

> 逆に念仏することで地獄に落ちるのか。

 

> こうしたことすべては

> 私の関知するところではありません。

 

 

えっ、しないの?

 

 

> たとえ、私が法然聖人に騙されて、

> 念仏を称えたために地獄に落ちたとしても、

> 決して私は後悔しないのです。

 

 

結果で一喜一憂しない。

何がどうなろうと関係なし。

 

だからこその「絶対」。

「対」になるものを「絶つ」。

 

 

よく言われるよね。

他人を幸せにすることはできないと。

 

それは、絶対の幸せ。

自分で決めることだから。

 

 

陰陽、相対を超えているからこそ、

 

 

> 善悪の二つ、

> 総じてもって、

> 存知せざるなり。

 

 

聖人と呼ばれながらも。

自ら「善悪がわからない」と。

 

「ない」んだよね。

絶対の世界には。

 

 

「陰陽論」も一見、二元の相対世界。

けど、そこを入口に。

一元絶対へ向かう道。

 

「老子」も、「歎異抄」も。

時代を超え、国を超え。

 

この世は「どちらも」 だと。

 

 

さて、あなたは。

「善人」ですか?

 

 

 

今日は、ここまで。

また、明日。

 

 

 

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