要る本と要らない本をより分けていたら。

「ナイスコントロール!ガリクソン投手のおくりもの」(医歯薬出版、1990年)という本を発見。

 

 

この本はまだ大学病院の小児科に通院していた、1990年。

アタシが25才の時、大学病院の敷地内にあった(医学生用の教科書なども売っている)本屋にあったのを買ったもの。

1回、サラッと読んでそのままに・・・^^;

※ちなみに、「メリティスの窓 糖尿病でなぜ悪い」(1991年、保健同人社)っていう、主人公が糖尿病の女の子の漫画も同じ本屋で買った。

 

で。

アタシが1979年に糖尿を発症した時の診断名。

「若年型糖尿病」と言われたんだけども。

(14才で発症したんで、小児病棟に強制入院させられた。

膵臓の細胞が壊死してインスリンを作れなくなったので。

生涯、日に複数回のインスリン注射が必須。

打たないと死ぬ!と、確かに言われたのを覚えてる)

 

いま、ネットで若年型と検索するとどういうワケなんだか?

若年性と出てくるので。

 

 

ずっと、「若年型」っていうのはアタシの記憶違いなんだと思って悩んでた。

(1979年以降、糖尿病の型の呼び方が何回か変わってきたし、いったい自分はどれなんだ?って・・・。

外来ではだれも、、、(耳が聞こえる人と一緒に来てと言われたとのことで)診察室に付き添ってた母でさえ、筆談せず。

(主治医の前に患者本人、アタシがいるのに主治医は付き添いの母と歓談してるだけ)検査結果も解らず。孤独だった)

 

で。

改めて、本を読んでみたら。

本の13ページに「若年型」なる文字があって、ビックリ。

 

 

13ページの左下には、こんなことが書かれてた。

 

   ↑

アタシャ~、一体、なぜ忘れてたんだろう?^^;

 

そういえば。

30才の頃、大学病院内の小児科から内分泌科に移ってからも相変わらず、母と一緒に受診していて。

(それが元々、糖尿で内分泌科にかかっていた母と同じ人だったんだよねぇ、主治医が ಥ⁠_⁠ಥ もう、最悪。

(でも、アタシと母が使うインスリン名は違うものだった)

 

そこでも、やっぱり、聞こえる人と一緒に受診・・・と言われたようで母が一緒に診察室に。

どこまでいっても子ども扱いされているようで嫌だった。

心の中で、親もいい年になって来てんだよ。なんで目の前にいるアタシ本人に検査結果を伝えないのよ?親はいつまでもいないんだよ、解ってる?って叫んでた ಥ⁠_⁠ಥ

 

だもんで。

アタシャ~、転院するから紹介状を書いて欲しいと言って。

8ヶ月~1年くらい、書いてくれなかったんだけど。

じゃぁ、紹介状なしで転院する!といったら、やっと、、、

渋々書いてくれたらしいのを奪い取るようにして転院。

 

転院先の主治医に、紹介状にあった病名を聞いたら。

「インスリン依存型糖尿病」だと教えてくれた。

で、、、国立病院だったんだけども。

数年後、独立行政法人とかいうのになるっていうんで、”見る医者がいないから”転院しろと言われ。

(早い話が追い出された!ってことか?ಥ⁠_⁠ಥ)

しょうがない、人工透析寸前の母が透析を受ける予定のクリニックの内科に転院したのであった ಥ⁠_⁠ಥ

アタシは現在も通院中)

 

 

で。

アタシャ~、一言言いたい。

糖尿病っていう呼び方がイヤだという患者がいる、とかで。

少し前にダイアベティスにしようって言ってたと思うけど。

あれってどうなったのかな?

アタシャ~、発音できないゾ。

 

まぁ、それは良いとして。

現在、1型と2型とその他に分類されてるけど。

どうして、1979年以降、現在の1型と2型の呼び方を変えたのかな?

(若年型、IDDM、一型、I型、1型 など)

アタシャ~、糖尿病のタイプ難民みたくなってて迷惑なんだけど。

1979年には、まだ、患者用の血糖測定器を見たこと無かったし。

CペプチドとかGAD抗体とか。

そういうのも、多分、無かったと思うんで。

それを聞かれましても~、、、なんですわ ಥ⁠_⁠ಥ

 

で。

・・・一時期、” (ほんの少しだけど自己分泌のインスリンがあるんで)1型か2型かハッキリ解らない ” とか言われ・・・

(なにをぅっ!!んなもん、あたしにも解らんわ!

っていうかさぁ、、、2型が成人型、1型が若年型って呼ばれてた時代を知らない医師が診てるんじゃぁ~ ಥ⁠_⁠ಥ

でも、ちゃんと、診断名を聞いた時の説明(すい臓の細胞が壊死してインスリン作れなくなったってこと)を伝えてる))

 

面白いのは。

糖尿の型は、どうあれ。

どの主治医も、一回たりとも「インスリン注射中止しよう」とは言わなかったこと。

たとえ、HbA1Cが5.9%になろうとも。

・・・なんでそんなとこだけ、同意見なんですかね?・・・

まぁ、インスリン注射を中止したら、、、多分、死んじゃうけどね、アタシャ~ ^^;

(受診もインスリン注射も中断したこと無いんで解らん)

 

んじゃぁ、ってんで(怒)。

自分から、1型には処方できないらしい、「ジャヌビア」を処方してもらってた。

・・・効果が無いんで、中止になったけど・・・

 

 

以上、グチ、でした ಥ⁠_⁠ಥ

 

 

一応、気分転換を。

 

 

 

 

最近、血糖が不安定でねぇ~ ಥ⁠_⁠ಥ

「いかなる時も冷静に」を心がけちゃ~いても。

実体験なもんで、他人事じゃいられず。

 

 

少し落ち着かねば!ってことで。

最近の気分転換は、コレ。

なんて読むんだ~?アタシにゃ~読めんっ!ಥ⁠_⁠ಥ

(文字は読めるけど、発音が解らん・・・)

 

 

 

これをやってる時は、集中しているんで。

普段キリキリ舞いしていることもイヤなことも忘れられる。

 

 

製品の上にあるのと同じように並べていくんだけど。

赤とオレンジが解りにくいんで、塗り替えたいけど。

開かないから出来ないんだよねぇ~ ಥ⁠_⁠ಥ

あああ、赤かオレンジのどちらかを白にしたい。。。

 

 

青いバーを動かすと、見本の並び方が変わるので。

 

 

見本が同じになることが無くて、飽きないし。

年齢は関係なく遊べて嬉しい。

 

 

 

 

いま、ムラゴンでブログ(ほぼ毎日、丑三つ時に更新)を書いてるんだけどね。。。

血糖の動きというか、パターンというか。

なんか、無茶苦茶で。

参ってるんで、気分転換にやってる。

 

 

アタシの場合。

闘病24年(2003年)ほどで、40単位/1mlのインスリンが製造中止されて。

100単位/1mlの、持効型インスリンと超即効型インスリンの組み合わせで使うようになり。

(当時使っていたのは、ランタス(2回打ち/日)とノボラピッド)

以前よか、格段に血糖コントロールがラクになったのに。

 

まさか。。。

闘病41年程の、55才頃から難しくなってきてはいたけど。

47年で、血糖コントロールが激ムズになるなんて。

思ってなかったよぉ~~ ಥ⁠_⁠ಥ

 

 

8月15日は、終戦の日。

 

終戦の日、と言えば。

思い出すのは、大正13年生まれの父の言葉。

戦争中、通信兵だった(と、本人が言ってた)父。

 

アタシが1979年7月21日に14才で、日に複数回のインスリン注射が必須の糖尿病を発症して。

いきなり降って湧いた、インスリン注射と食事制限、食後の運動必須。

オマケに、アタシの退院と入れ替わるようにして、糖尿病だった母が膀胱炎から腎盂腎炎になり。

腎臓を一つ切除したために8ヶ月の長期入院となり。

アタシは自分でどうにかするしかなく。

心身共に苦しんでいた頃、父に言われたのは・・・

” 生きられる命があるなら生きろ ” という言葉だった。

 

戦争でお兄さんを失くした父に言われたら。

「はい」というしかなかった。

で、47年経った今も生きてる。

 

そして、もう一つは。。。

入院中、同室の子(10才)が血液のがん、、、だった。

アタシが病棟のナースステーションで食事前にインスリン注射を打つのがイヤだ、と言っていたら。

通りがかった彼女が「要らないなら、その命、頂戴」と。。。

 

もう、ね。

生きたくても生きられない命があると思ったら、なにも言えなくなった ಥ⁠_⁠ಥ

で。

アタシが退院してしばらくして見舞いに行ったらいなくて。

看護婦さんに聞いたら、ちょっと妙な雰囲気になり。

《退院した》とだけ、言われた。

九州から来て、首都圏の大学病院に入院してた彼女の住所を聞いていたので手紙を出したけども、返事がなく。

 

心配していたら、母が一言。

看護師たちが言う《退院》には意味がいくつかあるらしい。

母曰く、亡くなったって意味もあるということだった ಥ⁠_⁠ಥ

(度々入退院を繰り返していた母だけど、コレが本当かどうか、、、アタシは知らない)

思わず、荒井由実さんの「ひこうき雲」をクチずさんでしまったのを覚えてる。

 

毎年、夏とか終戦の日になると。

脳裏に浮かぶのは父の言葉と荒井由実さんの「ひこうき雲」。

 

 

平和と幸せを祈ろう!

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気分転換しよう。。。
 
 
 
戦争も病気もない世界があると良いな。。。と思う。
 
 
 
※最近、ムラゴンでブログ更新しています。