ピンが亡くなって
早3か月が経とうとしている。
当時の犬友さんたちに
ピンが亡くなったことを
伝えると
たいてい相手はこう言う。
「次の子は?
また飼うの?」
これまで何匹もの犬を飼って
きた私だが、
今回だけは初めて一切の迷いなく
「ノー」だ。
これは一番に
自分の年齢を考えるからだ。
今後自分がさらに老いた時に
次のわんこを無事に見送ってやる
自信はない。
それともうひとつこれに
付け加えて大きな理由がある。
それはやっぱり介護だ。
動物を飼うということは
お散歩に食事、排せつなど
飼っていない人に比べると
いろいろとすることが増える。
子供の頃「犬を飼いたい」と言うと、
決って親に言われたのは
「毎日お散歩行けるの?」。
だけど
本当の本質は「お散歩」などではなく、
犬の終末期にどこまで付き合えるか
だったのだ。
もちろん私たちはいつか必ず訪れる
そのかけがえのない存在とのお別れに
ついては十分に認識している。
その時を想像するだけで
目から涙があふれだすなんてことも
しばしばある。
だけど、
そこに行きつくまでには壮絶な介護を
経験する場合もあるということは
現実にそうなるまではわからない。
ピンの介護もやっぱり大変だった。
愛おしい存在だからこそ
できたことでもあるが、
同時にその存在は
身体的にも精神的にも
大きな負担になっていたと
言わざるを得ない。
実際、
ピンが高齢ながらも
まだまだ元気だった頃は、
クマオとよく次の子の話を
していた。
ピンとそっくりのお顔の子なら
同じ犬種でなくても
ミックス犬でもいい。
そんな話をしながら
保護犬の情報などを調べたり、
実際にペットショップに足を運ぶ
ことも少なくなかったし、
お迎えするなら
ピンが亡くなってからより、
今の方がいいんじゃない?
それの方がピンも張りあいになって
いいかもね。
いやでもやっぱり高齢のピンには
ストレスになるかな。
なんていう
たわいもない会話をしていたものだ。
そんな中、
忘れもしない2024年2月17日。
その日突然
ピンは歩けなくなった。
それから
動物整体やら病院行き、
セルフマッサージなどを行いつつの、
今日はこんなに歩けた
今日は転んでばかり
今日はあまり食べない
なんていう日々が日常になると、
クマオと私に
「次の子」なんていう考えは
全く消え失せた。
もはや会話にも出なくなった。
ただ目の前のピンを
慈しみ
愛おしみ、
心配し、
不安をおぼえた。
犬を飼いなれていた私だが
こんな形で終末期を迎えた子は
ピン以外にはなかったこともあり、
つくづく自分の甘さを思い知る機会に
なった。
もちろん結果論でしかないのだが。
そして今はもう
やりつくしたなと思っている。
だから寂しくてたまらなくても
ちょっとすがすがしくもあるのだ。
ふと書きとめておこうと
思ったことを書いたまで。
読んでくださりありがとうございます。
