仮にも

「他に好きな人ができた。

 離婚してくれ」と、Iが言って

いたとしたら、

私はこれほどまでにIを軽蔑しなかった

はずだった。

 

 

だが、

Iは卑怯にも私サイドから流れる

お金のために私を縛り付けようと

している。

 

 

我慢に限界がきた。

離婚届けを用意し、Iに突きつけた。

それから言った。

 

「車も時計もパパに返して。

 もうパパに全部話すから」

 

 

その言葉にIは恐ろしくいきり立った。

大声で喚きはじめた。

 

 

とんでもなく逆上したIは

キッチンに行き、

あろうことか包丁を取りだした。

 

私に向けて、

「殺したる」と言った。

 

「あんたが死んでくれたら 

 全部うまくいくねん」とも言った。

 

「彼女も子供たち引き取って育てるって

 言うてくれてんねん」

 

「死ねや!」

 

 

長男が泣き叫び出した。

 

「うるさいんじゃ!」

大声で怒鳴る。

 

 

 

私は言った。

自分でも驚くほどに冷静に言えた。

 

「どうぞ。

 それで気が済むなら。

 殺してくれたらいい」

 

Iは今にも襲い掛かって来る勢いで

いた。

 

「さぁ、早く」

 

じっとIの目を見た。

心臓がドキンドキンと音を立てていた。

 

こんなふうにして殺人事件は

起きるんだ。

痛いのは嫌だ。

やるなら一突きでやってほしい。

 

こんなことをぼんやり思ったことを

覚えている。

 

 

 

Iはしばらく私を睨んでいたが、

「クソが!」と言って、

包丁の刃先を私にではなく、

テーブルに突き刺した。

 

 

それから、

離婚届をビリビリに破って

バタバタと音を立てて出て行った。

 

 

長男が、

「ママ~、殺される~

 じいじのところに逃げよう。

 ヤマちゃん連れて、

 速く逃げよう」と言って

泣きじゃくるのを

私は黙って抱きしめた。

 

 

力が抜けていた。

 

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

この時長男は小1。

この日のことは記憶にあるはずだが、

今の今に至っても長男がこのことを

口にしたことはない。

 

ただ、数年前だったか

一度だけこう言った。

 

「ボクは、

 あの人のようなあんな父親だけには

 なりたくない」

 

 

私のせいではないにしても、

この半分は

私のせいでもあるような気がして

私は今でも胸が痛くなる。

 

 

 

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