結局あの日以来、例の話題は封印しているクマオと私。
何ひとつ問題は解決していないし、
何ひとつ決心できたわけではない。
これまで数えきれないぐらいしてきたように、
今回も、全てを曖昧にしたにすぎず、結局は離れない。
いろいろなコメントやメッセージを頂いた。
どんな内容であっても、こんなブログに、こんな私のために、
貴重な時間を割いて、書き込んでくださったことを考えると、
やはり感謝したくなる。
(すぐに返信ができないことをお許しください)
クマオに対する批判的なコメントは、読むことが耐えがたいほどに
辛い気持ちになる。
が、逆に何度も何度も読み返すことにしている。
その内容が、自分の中に刷り込まれ、クマオに対する自分の
思いが変わればそれはそれでいいと思うからだ。
また、自分は、クマオに愛されていると勘違いしているかもしれないと、
遠回りに気づかされるコメントは、自分を思い上がらせないために必要だ。
こんな思いでいることができたなら、クマオに対する要求など
とてもおこがましくてできなくなる。
そんな自分になれたらそれもそれでいいと思える。
とは言っても、現実の思いはそんなに簡単にはいかない。
私自身、いつも考えるのは、残された時間のこと。
今や自分はアラ還。
いつまでも元気で、クマオといっしょに楽しく過ごせる時間は
どれぐらい残っているのだろう。
クマオとの付き合いが始まって10年。
今はまだ、ほぼ10年前と変わらず、楽しく過ごせる体力があるが、
この先これまでと同じ時間が自分にあるのかどうか。
10年先は、70歳に近づいている自分。
想像がつくようで、つかない未来の自分のこと。
それならば。と思う。
今の自分が不安定ながらも楽しく過ごせているのなら、
これを継続した方がいいのではないか。
苦しい決断をして、この先の限られた時間を、
わざわざ寂しい時間に変えることにどんな利点があるのだろう。
もちろん傷つくことは怖い。
かと言って、クマオの自由を制限してまで、クマオを
独占したいとは思えない。
「愛する人に抱かれる喜び」に未練がないわけではないが、
今の自分は、クマオともっと別の形で繋がりたいと望み始めているのだ。
まだまだ決めないでいよう。
そのうち終わることなのだから。