木曜の朝。
出勤前にほんの数分クマオと会う。
クマオは,一目私を見ると、涙目になった。
「・・りこちゃん・・」。
あれほど私の事を心配していると言いながら、昨夜女と会っている。
どんな感じで会ったのだろう。何ら変わりなく、「大好きだよ」と言って、女を抱き、
女を安心させて、自分も満足したそんな一夜だったのだろうか。
憎しみが込み上げそうになったその瞬間、ふと、私に過去の記憶が蘇った。
まだ私が30代後半だった頃、婚約者のいる一回り年下の男性とそう言う関係になった。
彼の婚約者は私の知り合いのお嬢さんだった。
深夜にひっそりと会う身体だけの関係。
罪悪感と自己嫌悪に見舞われ、もう二度と会うまいと決めながらも、
会えば、夢中で若い男と行為を楽しむ自分。
つい数時間前まで感じていた罪悪感など、微塵もなく消え去っていく。
そんな感覚を思い出した。
きっとクマオもそうなのかもしれない。 私の気もちに少し余裕が出てくる。
クマオが罪悪感に襲われているのは、クマオの表情からは一目瞭然だ。
クマオの方があの頃の私よりずっと、純粋ではないだろうか。
「じゃあ」と、離れると、クマオは運転しながら電話をかけてくる。
「りこちゃん、りこちゃんの姿見るだけで、涙が出てくる。泣けてくる。」
「・・・・・」。
何て答えていいのか。
「心配しなくていいよ」。 とりあえずそう答える。
クマオがお客さんの会社に着くまでの数十分間、電話は繋がっている。
クマオはいつもより多少饒舌に話す。
クマオなりに精一杯がんばってくれている。
「クマオさん、今晩何が食べたい?」。
驚いたことに、普通に声が出た。
「え?え?りこちゃん、いいん?」
「うん、いいよ」。
「・・・・りこちゃん、ありがとう。」
勘違いするなよ。
とりあえずやから。
そう心で話しながらも、峠は越えたと確信する。