皇紀2600年とは、誰が? いつ決めた? 決めたのは日本人初のフリーメイソン | 少女神ヤタガラスの娘

皇紀2600年とは、誰が? いつ決めた? 決めたのは日本人初のフリーメイソン

「皇紀」などという呼称が設定されたのは

1872(明治5)年11月15日の明治政府による太政官布告からだ。

 

むろん記紀など古文書にそんな元号が記載されてもいない。

明治政府からの創作元号だからだ。

 

これを提案したのは

明治政府の刑法官憲判事 津田真道だった。

それを三条実美が採用し実施した。


この津田真道、

オランダ留学中の1864年、

ライデンのフリーメイソンリー
「La Vertu Lodge No. 7」

「ラ・ベルトゥ・ロッジ・ナンバー7」に入会している。

彼は、同じくオランダに留学していた西周に

続く形でこのロッジの会員となり、

 

彼ら二人が歴史上初めて

フリーメイソンに入会した日本人とされている。
 

当時、二人はライデン大学のフィッセリング教授

(彼自身もメイソン会員)のもとで

法学や統計学などを学んでおり、

その繋がりからこのロッジへと導かれた。
 

津田真道や西周が加入した当時、

およびフリーメイソンリー全般における

一般的な入会条件と入会儀式の概要は以下の通り。
 

📋 主な入会条件
フリーメイソンは宗教団体や政治結社ではないため、

思想そのものを厳しく制限することはないが、

会員個人の道徳性や社会性を重視する明確な条件がある。

❶成人男性であること
「至高の存在(神)」への信仰があること

:特定の宗教(キリスト教、仏教、イスラム教など)を

 強制されることはないが、無神論者は入会できない。

❷善良な市民であり、高い道徳的品性を持っていること
現役会員からの推薦があること

:津田真道らの場合は、師事していたライデン大学の

 フィッセリング教授の強力な推薦と導きがあった。

❸メンバー全員の投票による承認
🏛️ 入会儀式(イニシエーション)
入会儀式は、中世の石工職人のギルド(組合)の伝統を

受け継いだ演劇(寸劇)形式の厳粛な儀礼。

入会者は「俗界(外の世界)から、

光のある世界(メイソンの世界)へ

生まれ変わる」というプロセスを体験。

❹目隠しをされる
俗世の偏見や先入観を捨て、

白紙の状態で新しい世界に入ることを意味。

目隠しをされた状態でロッジ(儀式を行う部屋)へ

連れて行かれる。

❺衣服を象徴的に崩す
富や社会的地位(服装)は、

メイソンの世界では無意味であることを示すため、

片方の靴を脱いだり、胸元や片脚のズボンをまくるなど、

特定の象徴的な服装に整えられる。

❻宣誓と暗唱
ロッジの中心で、会の理念に従い、

組織の秘密(握手の手順や合言葉など)を

外部に漏らさないことを誓う。

❼目隠しを外され「光」を見る
宣誓が終わると目隠しが外される。

そこには直角定規やコンパスといった

石工の道具(道徳のシンボル)や、

会員たちが並ぶ光景が広がり、

正式に最下位の階級である

「徒弟(Entered Apprentice)」として

まず迎え入れられる。

津田真道らも

オランダのロッジで

こうした数々のシンボルに囲まれ、

厳粛な誓いを立てる体験を経て会員となった。

津田は明治政府の議政機関「集議院」に対し、
「年号ヲ廃シ一元ヲ建ツ可キノ議」
「年号(元号)は分かりにくいので廃し、

 西洋の西暦に対抗し、日本独自の紀元を設けるべき」

 と建議した。
 

その中で初代天皇を設定し、

神武即位の年を皇紀元年と決めることを提案。

神武が即位したと設定された紀元前660年など、

縄文〜弥生時代草創期にあたり、

未だ日本に統一国家も天皇などという呼称も存在していない。

完全なでっち上げで明治政府のプロパガンダだ。

大阪の古社では、

「神武は3世紀に、カモ氏と卑弥呼を⭕️⭕️した」

 などと掲示されてもいる

『ヒミコ殺し 少女神ヤタガラスの娘と日蝕の暗殺』