偽書のプロ『中臣宮処氏本系帳』敷田年治
偽書にはプロが居る
『中臣宮処氏本系帳』は明治時代
敷田年治によって偽造された
①金刀比羅宮には、5つの偽書があった。
②それらは、松尾寺の鐘楼や金比羅堂が
12世紀にあったと見せかけるための偽書であった。
③これら偽文書は明治時代、琴綾宥常が
プロの偽書作家に作らせたものであった。
④その背景には祭神となった崇徳上皇時代には、
松尾寺や金毘羅堂があったことを示す由緒の偽造必要があったためだ。
⑤しかし、松原秀明の調査研究によって
松尾寺は16世紀後半に創建されたものであり、
それを遡る棟札も古文書もないことが明らかにされた。
偽文書『中臣宮処氏本系帳』
古代讃岐 山田郡の有力豪族?
「中臣宮処氏」の存在を示そうとした偽史料。
孝徳天皇の大化3(646)年3月
存在も不確かな中臣宮処連静が
書いたものという建前で捏造。
実際は敷田年治(1817生- 1902没)が偽造した
しかし600年後
南北朝に書かれた系譜がパクられていると指摘があり
偽書と指摘される。
646(大化3)年『中臣宮処氏家牒』も、
その88年後の
734(天平6)年『中臣宮処氏本系帳』も、
中臣宮処連静麻呂が書いたとしており、
静麻呂いくつやねん
?!
偽書には原本が無く
模写も途中であると
都合の良い言い訳が記されてある
これもよくある手である
「この書は讃岐の国の人、
本條半兵衛が明治26(1893)年から32 or 33年前に
難波に持ってきたものだが、
半兵衛は何の書物か知らず、明治11(1878)年9月18日に
難波の道頓堀で焼失してしまった。
しかし、これ以前に或る人が
この本系帳と家牒を借りて書き写し、
家牒の方は半分も書き写さない内に
持ち主に督促され返した。
鼠に喰われて4枚程になった
などとも記されている。


