『日本書紀』仁徳の「難波の高津宮」所在地 | 少女神ヤタガラスの娘

『日本書紀』仁徳の「難波の高津宮」所在地

大阪市街地を南北に走る丘陵(上町台地)の北端

大阪城本丸地区(大阪市中央区)の可能性

開削した水路や港、難波宮跡(同)で遺構が見つかる

 

産経新聞より 仁徳の具体的な指示って...湟咋耳か?

 

16棟もの巨大な倉庫群(法円坂倉庫群)と

ともに開発されたとする論考を

西本昌弘・関西大学教授(日本古代史)が

学術誌「ヒストリア300号」(大阪歴史学会)に発表

仁徳が高津宮とともに、

港や巨大倉庫群を難波に設けた背景に、

「当時の緊迫した朝鮮半島情勢があった」と指摘

治水に尽力
仁徳は応神の第4子で、
応神が亡くなると「高津宮」を造った


群臣に

「この国は土地は広いが、田んぼは少ない。

 河水は横に流れ、その流れは悪い。

 長雨になると海潮がさかのぼり、

 村里は(浸水し)船に乗ることになり、

 道路は泥に埋まる。

 あふれた水を海に通じさせ、

 逆流を防いで田や家を

 侵されないようにせよ」

 

と詔したという

高津宮の北の野を掘って、

南の水を引き、西の海に入れた。
その水路を堀江と名付けた

古墳時代の大阪平野は

海岸線が深く入り込んで、

上町台地の西は海に面し、

東には湖があった

淀川や大和川などの

大河川によって

上流から運ばれた土砂が堆積

北側から淀川の三角州が発達し、
上町台地北端部との間の水路を次第に狭め、

水害を受けやすい地形だった

書紀にある
「南の水」は大和川、
「西の海」は大阪湾とみられ、
高津宮の北側に、大雨が降ると
浸水を招く水の流れがあったため
水の流路を深く掘り下げることで
大和川や淀川の水がスムーズに
大阪湾に流れ出すよう、水路(堀江)を開削したよう

それって、三島湟咋耳神の手筈では?

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