私は自由が好きなのよ~~~ォ♬ | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

実は昨夜ブログを書いている最中の午後6時半前かな・・・・・

 

突然けたたましくなる玄関ベル。ハッ

 

続けてドアをコンコンコンと三、四度小突く音。

 

 

一体誰だあ!?えー?

 

 

昨日は土曜日・・・・一般の仕事はお休み。

訪ねてくるような人間も、そんな夜の近づく時間帯にはいないし、それでも抜き足忍び足で玄関前まで行くと、息を殺してジー――っと耳を澄ませてみた。昨日は日中は気がつかなかったが、夜が近づくにつれて室内でも時より強風が吹く音が聞こえてきていた。

 

それは物凄い音で、

 

 

あぁ~~・・・・外に出たくないてな感じで、ぼけー

そんな中で夜8時過ぎには、打ち上げ花火の音が響いていたが、なんのイベントだったのか?あの風では危なかったんではと、計画的なのか数分ですぐ終わったみたいだった。

 

ようやくブログが書き上がってホッとした時に、そろりと玄関ドアの内側に付いている新聞受けのポストを開けてみた。

そうしたらやっぱりなことに、

 

 

こんなものがドアポケットに入っていた。

 

某宗教団体の集会にご招待なパンフレットだった。

もちろん行かないけど・・・・、10年ぶりぐらいに手に取った同団体のものだった。(笑) 集会場所はうちからだと、随分と離れた場所になるんだが、この辺に活動する人がいるのかたまたまなのか・・・・

 

10年程前にも小さな子供の手を引いて、30代前後の若い母親がうちを訪ねてきた。

 

大体こうした訪問者らは、親子あるいは先輩後輩な関係でやって来る。この日の訪問者は親子訪問の方だ。

 

家に人がいるのを見計らって来るんだろうが、10年程前・・・・ここへ引っ越して間もない頃にも、同じような時間帯に2度程訪問を受けている。物腰柔らか目にこんにちわと挨拶してくるも、こちらがすみませんそうゆうの関係ないんでというと、マニュアル通りな言葉を投げかけてくるけど、めんどくさくなりうちは〇〇を信仰しているんでと嘘ぶくと、段々とキツく反抗的な感情を向けてくることもある。

 

まっ、訪問者の性格にもよるけど、一緒に来る先輩と思われる方が一方的に、感情高ぶり反抗的な態度でくることが多い。知らんぷり

 

 

私はねぇ~・・・・田舎の育ちなんで、神道とかの方を父方の親もやっていたんではと思うんだが、日々何かに手を合わせたり祝詞を唱えるとか、そうした事をやっていた記憶はない。

同級生らも目立ったそうゆう宗教的な家ではなかったと思う。

 

 

いなかには歴史的にも日本のその道でも有名な山岳密教や陰陽道などが一緒になった「いざなぎ流」というものがあるんで、どちらかというと出雲系のようなさまざまなものには神様がいるみたいな。

そんな中で生まれ育ったという感じだ。

 

だから心も体も自由なんで、キリスト教であれ仏教であれ誰が何を信仰しようが関係ないと思っている。

但しその信仰を他人に押し付けてくるのはごめんしたいものだ。

 

でもね、私ってよくこうした勧誘の人が寄って来るのよ。(笑)

 

 

なんか話を聞いてくれそうに見えるみたい。

 

 

好奇心旺盛だから参考がてらに話しは聞くけど、大体は最後に相手の方が怒って退散してしまう。(笑)

いや、怒らせてはいないよ・・・・、勝手に自分らの考え方に合わない人だと感情をぶつけてくるんだよ。だからこちらも忙しいからと追い帰すの・・・・

 

困った時の神だもの、必要な時には神にも仏にも手を合わす。

それでは駄目なのかな・・・・えー?

 

キリストの死を記念する式典

 

キリストは母マリアが突然身ごもった父親のいない子供。

その父は万能の神だったかもしれないが、その姿を見た事がない・・・いわば半身は神で半身は人間だ。

人間の心を残す人物だとすれば、本当に喜んでその身を神に捧げるようにして、自から犠牲にして天に召されたのか。うーん

 

 

人間的に考えれば、私にはあの苦痛を耐え抜きそんな感情だけで、死を受け入れたとは言い難い。

 

 

もし本当に望んで犠牲となったのならばあっぱれだよビックリマーク

 

 

でも逆に人間的に本当は嫌だったよと言われた方が、より身近に感じるけどね。(笑)

 

この式典の事を検索すればどの団体かわかると思うが、ここにも書いてあるし・・・・

 

この団体の事を知ったのはもう何十年も前のニュースでだった。

 

まだ昭和だったと思うが、ある男の子が事故にあって輸血を必要としていた時に、それを拒否してその子は死んだ。

団体側によれば他の血を体に入れる事は、穢れにも通じて許されないという行為。だからこの方々は、しっかりと血抜きをしたものは魚でも肉でも食べれるけれど、そうでないものは食べないそうだ。

 

 

なんだか自分勝手だなって思ってしまうんだけどね。

宗教って大体は、生きている人間らが自分都合で考えてきたもの。

それにマッチした人達がそれに群がる・・・、合わないと思えばまた新たな宗教が生まれる・・そうゆうシステムで、人類は手っ取り早く政治経済とは別の方法で、人々を従えてきたんだよ。

外国からの脅威と奴隷として売られていく日本人の姿に、戦国の世の秀吉は伴天連追放令を出した。

 

異国の地での売られた日本人の姿を見て、あまりの描写に驚いたことを、あの天正少年使節団のひとりが書き残している。

 

 

これは一般的な考えだよ。

 

 

男の子の葬式では、家族も参列者も皆拍手喝采でおめでとうと言っていた光景を、若い私も驚いて学ばさせてもらった。

 

亡くなっても生まれ変われるチャンスを頂けたのだそうだ。

 

 

本当にその子は親との別れを望んだの?

 

 

親は親で腹を痛めて生み落とし、短い命で人生を閉じた子のことを、おめでとうと送り出す喜びに満ち溢れていたの?

輸血をすれば助かると医者に言われていたのに・・・・

 

誰が何を信じるのかは自由だけど、その自由ということは他人も同じだし、強要や洗脳とは違うよと言いたい。

昨日は今日より風が強くて、夕方6時半頃には日も傾き寒かったと思うけど、ドアを開けていないんで子供を連れていたかはわからないが、多分いたと思うと大人はともかく子供は寒かったろうなと・・・・

親に連れられて本人らが自覚なければ親の犠牲とはそうゆう事だ。

 

 

あまりの寒さに早く済ませたくて、ベルの後にドアをコンコンコンと三、四度小突いたんだろうねぇ~。かなり借金取りに近い叩き方だったしね。(笑) ニヤニヤ汗

 

子供を連れている事で、特に寒い夜はまぁまぁ~家の中で話しませんかなシチュエーションも生まれてしまう。

友だちや知人が先輩を連れてきたとすれば、家ならばやはりどうぞと入れてしまうかもしれない。

そうした相手達のやりようもよく聞いて知っているが、心根が弱かったり優しすぎるだけの人間ならば、あっという間に取り込まれてしまう事もある。1対2では敵わんものね・・・・(笑)

そうゆう事もマニュアル化しているのかもしれないね・・・あちらさんは、私の昔の知り合いにもあっという間に取り込まれてしまった人を数名知っているし。そうなるとそうでない私のような一般人との付き合いは、そこで終わってしまうということが常だ。

こちらが普通の付き合いを続けたくても、宗教と別にした交流を望んでも・・・・・・

 

 

あの人達は、同種とつるむ事が多いんでね。にひひ

 

 

私自身は何かに縛られてしまう事は嫌いなので、これからも神様仏様に手を合わせるし、キリストであれ有名な僧侶であれ何処でも行きます!人間が犯した罪があるとすればそれは人間が償うべきものであり、神様はそうした人間の心の支えだということ。

神様が我々の悪いものを浄化してくれるわけでもないし、弱い心根を強くする存在だとしても、お金とか人とか犠牲を払う事は違うと思っている。

 

 

また訪問されない事を願いたい。(笑)

 

 

今度来たらどんな宗派ですと言い返してやろうかなぁ~~、

悪魔を信じてますなんて言ったら、ご近所で噂になっても困るしね。(笑)にひひ

 

 

どんな宗派であっても、特に新興宗教というものに関して言えば、常に相手につけ入れられないように、自分というものをしっかりと持って、私はこうなんだとした自信を持つことだ!

それが間違いであろうがなかろうが、自分は自分人は人・・・・間違えは自分で正して行けばよい。上差し

 

古い古典的なもの以外は、近年になって人間が自分自身の利益に誕生させたようなものだから、すぐに足を踏み入れる事はせずに、よくよく考え学んでそして答えを出せばよいと思う。

そうゆう相手は上手い事いってくるけど、例えばもっともらしい事を言ってくるのよ。平和とか戦争とか飢餓とか物価とか、後はひとりで寂しくないか・・とか、だからって目の前のモノに答えを見出す事は違うと思うから、もっといろんな事を人生で学んでから、それに対しては答えを出してもいいと思うよ。

 

私の知る人の中にも、1人が淋しかったから誘いに乗ったという人もいたし。人間は孤独と感じると特に狙われやすいからね。

孤独や孤立という中では、相手からも狙われやすい・・・犯罪でもね。

 

 

神様を人間の都合で使い分けてはいけないよ。

 

 

神様が人を区別差別しないというのならば、人間が宗派や神様を区別差別するのはおかしな話だもの。わんわん