日本人よりも日本らしい文化を愛した人間がいた。 | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

今年度の後期朝ドラ「ばけばけ」も、ようやくヒロインと異国から日本へやってきたハーンとの急接近で、そろそろ家族になるのかな・・なところまできました。ニコニコ

 

 

ヒロインのモデルとなっているハーンの妻・小泉節子さんの回想録によると、「へルンの平常の話しは、女のような優しい声でありました」と語っている。笑い方も優しくてその反面何かに没頭するとその意気込みは物凄くて、突然えらい勢いで力を込めて伝えてくると・・・

確かにそうした演出は、ドラマの中でも描かれていますよね。にひひ

 

例えば先週のばけばけでは、

 

ハーンとヒロインがそれぞれ昔の男と女を伴い偶然出会った先で、突然大好きな怪談を聞きたいと、ヒロインに詰め寄るハーンの姿がありました。(笑)その間同席したそれぞれの過去の男と女・・・そしてハーンの通訳者でもあった人間3人は、まるで蚊帳の外状態で外で黄昏てしまっていた。そこからただならぬふたりの気持ちに気がついて、ラストは朝ドラの中でもなかなかロマンチックなエンディングとして、松江の有名な宍道湖河畔を、ふたりして手を繋いで歩くというシーンで終わった。

 

 

私も宍道湖の畔に立ったことがあるが、琵琶湖ほどではないがなかなか広い大きな湖だ。

 

 

宍道湖には松江の大橋からも見えるちょっとした島がある。

この島は嫁ヶ島というんだが、全長110m・幅約30m・周囲240mという平たい島なのだが、出雲国風土記には元は蚊島(かしま)と残されていて、それがいつの頃からか嫁島(かしま)と字があてられて、島の西側には弁天様を祀る竹生島(ちくぶじま)神社の小さい祠が、東端にも鳥居があって昭和の初めに地元出身の政治家が苗木を寄贈した松が、30本ばかり見えているとしたことだ。

 

ドラマではなかなかその島は出てこないけど、

 

 

この島には哀しい伝説があって、意地悪な姑にいじめられてそれに耐えかねた若い嫁が、実家に戻ろうとして凍った湖を近道になると渡り始めた途端に、凍っていたであろう湖面が割れて水の中に落ちてしまった。それを見ていた水神が哀れに思い、夜が明けきらない内に小さな島を浮き上がらせて、嫁の亡骸を湖面へと引き上げたというお話だ。嫁といっしょに現れた島ということで、嫁ヶ島と呼ぶ事になったと言われている。

 

 

真意はともあれ、湖傍に建つ県立美術館の前の芝生の上には、因幡の白兎ならぬ12羽のウサギさん達の石像が置かれていて、このうち前から2番目のウサギを触ると、縁起がいいとパワースポット的に若い人達や観光客らが訪れるという。

実は私も島根旅をした時に、行った事があるんだよ。(笑)

願いが叶ったかどうかは・・・・微妙だが、ウインク

 

 

今からもう20年近く前にはそうした観光スポット的な場所もあって、私もそれをガイドブックで知って、足をわざわざ運んだということだ。

 

 

もし松江に行くことがあれば、一度願掛けに訪ねてみてはいかがだろうか。

 

 

さてと、今週のばけばけは・・・・

 

どうやらヒロインが旅支度をして、ハーン達を追う姿が予告編で流れていたのだが、彼等はいったいどこへ行っていたのか・・・・・

 

 

実は種明かしをすれば、ヒロイン達が暮らす松江からはずっと反対の方向である杵築(きつき)という場所。上差し

 

 

覚えているだろうか・・・、以前私が大分に来て初めて住んだ場所が杵築という町で隣には眞名井という地名があったと書いたブログ。

そう・・・・、彼等が旅したのは出雲大社なのだよ。

(出雲大社のある場所も杵築で隣には眞名井という地名がある)

 

日本の事が大好きで日本のことに興味があるというハーンの評判を聞いて、出雲大社の宮司らはわざわざハーンに見せようと突如人を集めて踊りを披露する事となった。ヒロインのモデルである節子さんによれば、何百人という人を集めたというからよほど宮司も、ハーンの事を気に入っていたんだと思う。

この当時の宮司は、通訳も務めていた西田さん・・・つまりはドラマでは吉沢亮が演じている人物が、宮司とは知人関係であったとしたことだ。

 

宮司らが披露してくれた踊りとは、ハーンが想像していた盆踊りとは違って、随分と陽気な楽し気に踊るものだたようで、節子さんは回想録で盆踊りではない豊年踊りだとハーンが申しておりましたと述べている。豊年踊りとは、その名の通り豊作を神様に感謝して翌年の豊作を祈願する。農具を模した表現や仮面を取り入れたりと、どじょうすくいのようなユーモラスな踊りだったりもする。

 

だからハーンは盆踊りとは違うと口にしたんだね。ニコニコ

 

 

彼は日本の踊りや民俗的風習や文化にも興味があったんで、それはそれでこの出雲の旅を楽しんだようだった。

なんと彼等は当地に2週間ほど滞在して松江に戻っている。

 

 

ハーンがこの時「君が代」を教わり、三人でよく歌ったとも語っている。

 

 

過去ブログでは、この君が代の成り立ちを紹介した事もありましが、明治維新後に外交儀礼などで国歌が必要となった時に、薩摩藩の大山巌らが君が代の一節を選び・・・イギリスの軍楽隊長フェートンが作曲して明治3年(1870年)に演奏されるも普及せず。

その後明治13年(1880年)の天皇誕生日で演奏されたものが、現在の君が代の原型となったという話。

 

 

旅から戻った3人だったが、西田さんは京都へ旅に出て行き。

季節柄盆踊りでも見ましょうかとハーンとヒロインはいや節子さんだね。二人して伯耆の下市という場所へそれを見に行ったものの・・・ハーンが赴任したころに泊った宿屋に参り、踊りの事を訪ねてみると

「あの、今年は警察からそんな事は止めよと差し止められた」と聞いて、失望したハーンは思わずこう言ったそうだ。

 

「駄目の警察です、日本の古い面白い習慣をこわします。‥‥日本のものをこわして西洋のもの、真似するばかりです」といって大不平だったという。この頃はそうした盆踊りを見ようとあちこち訪ねたようです。但しハーンさんは外国人故に目立つこともあって、踊りそっちのけで注目する人達もいたんだとか。

ラフカディオ・ハーンがよく言っていたのは、日本には素晴らしいものが沢山あるのに、何故西洋の真似ばかりするのかといった思いだ。

 

 

彼は外から帰ると日本の服に着替えて食事も日本食、それも箸で食べて何よりも日本風にこだわったという。年始も羽織袴姿で振る舞う。

「日本には、こんなに美しい心があります。何故、西洋の真似をしますか」美しい面白いということには、とにかく興味津々夢中になったそうだ。

 

 

小泉八雲の著書の中には、「日本の面影」という作品がありますが、これはハーンが愛した明治時代の日本で体験した事や、文化や人々への想いと愛情そして・・・観察を綴った紀行文(随筆)

この作品だけでも、彼がどれほど日本という国を愛していたのかがわかるものなのです。東京へ赴任する事となった時には、ハーンはあまり乗り気でなかったと言います。逆に節子さんは東京を見てみたいと思っていたが、ハーンは変わりゆく東京の姿をあまり好きになれなかったようでした。その気持ちはこの「日本の面影」を読めばわかるかもしれません。

 

 

今の日本を見たら、ラフカディオ・ハーンもがっかりして山にこもってしまうかもですね。(笑)

 

今朝のドラマの中ではなんとも通訳として同行者として、熱い二人の間にいなければならなかった吉沢亮こと錦織さんの・・・・

なんとも居づらそうな微妙な演技が笑えました。(笑)にひひ

 

 

ドラマでは豊年踊りも2週間の旅路も、あっという間に終わってしまったけど・・・・今後は松江の寒さに耐えかねて、いよいよ熊本へと赴任することにもなっていく。

 

 

その時はどうやら節子さんの実家の家族も連れて行ったようで、それにはちょっと驚きましたね。キラキラ