神話の里を往くのブログで、出雲大社を書いた時に・・・・
今年後期の朝ドラ・ばけばけでの、ヒロインの母親の実家の事を書いたけど、出雲大社の高級神官を務める高浜家の養女であったとした事。
彼女は後にヒロインと共に暮らす稲垣家へ嫁ぎ。
ここからはドラマで既に明かされている話になるが、生まれたばかりのセツ(ヒロイン)を養女に迎え。
そして貧しくも慎ましい生活を送ったのです。
さて、ではそのヒロインの生みの母であり、叔母として登場する雨清水タエこと小泉チエさんはというと、彼女は松江藩の位の高い家老の一人娘として生まれて、12歳で一度武家の家に嫁いでいます。
しかし嫁いだ夜のこと・・・・
寝所でひとり夫を待っていると、庭先で何かとんでもない音を聞きつけ急いで家の者を呼びに行きました。
その後にわかったのは、その音の真実・・・・・
夫となった男は、家に仕える女と共に自害して果てていたんです。
しかも女の首は斬られて転がり、男は自刃して死んでいた。
それでも気丈にふるまう姿に、周りは称賛の声をかけたという。
その2年後の14歳の時に、朝ドラに登場した雨清水湊の元へ嫁いで行ったのです。ここからは本当の名字で書きますね。
ドラマでも描かれているように、チエはとても気位の高い高貴な存在だったみたいですね。側には常に30人もの奉公人が仕えていて、ドラマでも襖さえ自分で開けた事がないというほどのお嬢様。
そして彼女が30歳の頃に産んだのが、ヒロインであるセツだったのです。生まれる前からの約束で、子供のなかった稲垣夫婦の元へ、次に生まれた子供は養子にと、約束事をかわしていたんだそうです。
セツが生まれて7日目・・・・小さなヒロインは稲垣の家に養女としてもらわれていきました。名前は小泉セツこと稲垣節子
セツは小泉家では次女だったと聞いています。
明治19年・・・・小泉家がやっていた機織会社が倒産。
明治20年・・・・小泉湊・・夫が亡くなりました。
51歳だったそうです。
ずっとお嬢様として育ち結婚してからも、自分自身で何かをする・・なんて事もなかった。使用人ありきな当たり前の生活の中で、全てを失いあっという間に小泉の家も傾き・・・・
人を雇うこともできなくなったチエは、これまで人にやってもらって当たり前な事を、自分自身でもやらなければならなくなりました。
彼女は会社と夫を失い家を失って、一度は町に出て物乞いをしていたともいいます。もうどうやって生きていけばよいのかわからなかったんだと思う。
こういった姿は、彼女だけでなくて・・・・
武士という身分を失ってからの武家の人々が辿った現実は、あまり語られる事はありませんが相当大変だったと聞いています。
それこそ芸は身を助ける・・・なんて人もいたんでしょうが、何ももてないままに世の中に放り出された元武士達やその家族らは、その後も恵まれた人生を歩めたのはほんの一握りだった。
稲垣家のセツの家もドラマの通り・・・・
過去にとらわれ過ぎていると、先にも進めず苦しいままの生活を送る者たちも多かったのです。女性の身売りもありました・・・・
実際ドラマの中でも、ヒロインに対してそうした身売りを進めるシーンもありますね。
因みにドラマの中でも、セツは稲垣家にて「おじょ」と呼ばれることがあるが、それは元は立派な家の子供であったという事から、お嬢様の意味合いのおじょと呼ばれていたんですよ。![]()
明治19年(1886年)・・・・
セツは18歳で最初の結婚をしています。
相手は同じく困窮した貧しい武士の出である、前田為二という男。
年はセツよりも年上で28歳でした。
ドラマではふたりが同じ趣味である怪談話をするシーンが描かれていますが、実際は浄瑠璃や歌舞伎などが好きな男で、セツもいつしかそうした物語も読むようになったといいます。
ドラマの中ではあまりにも貧しい生活とその中で自分に課せられた稲垣家の借金の事で、嫌気がさして家を飛び出す為二の姿が描かれるようですが、実際は鳥取因幡藩にて足軽という、稲垣家よりも身分が低い家の出であったことを、セツの祖父や父親から指摘されて軽く扱われていた事にも、我慢ができなかったようですね。![]()
大河ドラマ・「龍馬伝」でも話題となった龍馬の友でもあった岡田以蔵。
彼の家も土佐藩では下級の下の下な足軽の家でした。
それこそ普段は草履もはけない身分だったといいます。
なので彼の墓には、いつの頃かファンの人が、白い運動靴を供えていたことがありました。あの世で掃いて下さい・・・って、
因幡藩でもそうだったのかわかりませんが、時代劇で見る様な陽気な足軽家・・・なんて、ちょっと珍しいことだったんでしょう。
貧しい事には慣れていたはずの為二も、こうした事があって稲垣の家を飛び出し、ドラマで描かれるような東京ではなくて、大阪へと旅立ってしまったのです。・・・・というよりも、稲垣やセツの元から逃げた。
それまでは県庁とも機業会社ともいわれる場所で、勤めをしていたと言われています。セツの夫は夫なりに、懸命に働いて養う事をやっていたんでしょう。(為二の仕事ははっきりとはわかってません。)
彼はこの後、才覚を発揮して大阪で成功しています。![]()
ドラマとは違い冷たい態度でセツを追い返した彼は、ドラマの中ではその後、社長となり松江に帰りますとセツに手紙をよこした事も・・・・
その頃はセツは既にハーンの下で女中として働いていた。
人づてに夫が大阪にいると聞いて、なんとか旅費を工面して後を追ったセツ。あの貧しい稲垣の家で、いったいどうやって旅費を工面したのか気になります。
なんとか夫と再会を果たし、稲垣の家に一緒に戻ろうと諭されても、夫の為二はそれを固く拒みました。
失意のどん底に、セツは橋の上から身投げをしようとします。ですがそれをなんとか思い止まり、ひとり稲垣の家のある松江に戻るのです。
ドラマではどうやら映画・国宝で話題のあのキャストに、助けられて思い止まるようですが、まぁ~~よくできた脚本ですこと。(笑)
実はこの時彼女を助けた男が、後にラフカディオ・ハーンとの結婚を後押しする事となる人物となるんです。
為二との離婚届は明治23年1890年1月に正式に受理された。
その後セツは生みの親であるチエの元、小泉家に復籍しています。
これで後の小泉セツ小泉八雲が誕生することとなったのです。
この復籍については、稲垣家の親達がセツに離婚歴が付かないようにと気にしたとも聞きます。
それでセツは養女で元の家に戻ったとした。だとしたら彼女に対するせめてもの親心だったのでしょう。
為二との結婚生活は、わずか一年足らず・・・・為二が家を出てから3年後、正式に離婚と離縁の手続きが成立しています。
それでもセツは、稲垣家で生活を続けています。
セツは世話になった二つの家を支えようとしますが、なかなか女の力だけでは駄目なんだと嫌なほどに思い知らされる。
それでも捨てきれなかった二つの家の家族達。鳥取の女の子とは、2人ばかし昔文通をやっていたことがあるけど、島根の女子とは付き合いがないので、どういった県民性かわかりませんが、相当頑張り屋なのかなと思いますね。
それにしても、稲垣の家の祖父も養父もまったく困ったものです。
あの二人がもう少し働く事を意識して、男として家族を養うとした気持ちが強かったら、セツもセツの養母ももう少し楽な暮らしができたと思うのだがね。夫であった為二に背負わせた負担も、もう少し軽くしてあげる事もできたと思うし、ドラマでセツが結婚しますと言った時に、稲垣の家の家族が両手あげて喜ぶ姿を見て、真実を知る私は・・・・
稲垣家がまるで奴隷を手に入れた喜びに沸いているように思えて、ちょっと苦笑いしてしまったけどね。(苦笑)
旦那さん・・・本当のことを知らずに、これから大変な生活を強いられるんだなって・・・・。だって、初めから働き手を得る為に結婚すると言ったヒロインの姿があったでしょ。
そりゃうまくいかんよ・・・・、でももう少し稲垣の親達が理解あれば、ふたりの結婚生活は続いていた可能性もあるけどね。
(後にふたりが移り住む熊本市でのラフカディオ・ハーンの写真)
でもとにかく1回目の結婚は失敗してもらわないと、ハーンさんには巡り会えないわけで・・・・それでは困るんで、離婚おめでとうですよセツさん。![]()
セツがラフカディオ・ハーンと出会うきっかけとなったのは、明治23年~24年(1890年~91年)に松江を襲った大寒波。
この事がなければセツはハーンと出会うような決意を固める事もなかったかもしれない。
それは、外国人教師の家に住み込みで働く女中の仕事。
当時は洋妾(ようしょう)・外妾(がいしょう)などと言われた。外国人相手の女とか遊女とか妾と言われたラシャメンと、人々が噂をするような時代だった。そんな非難を受けるかもしれないと、内心は気が気でなかったのですが、それでもセツは生活の為に、ハーンの家の住み込み女中として働くことを選ぶのです。
時は明治・・・・まだ始まって間もない頃です。![]()
稲垣家には未だ古い武士の心をもった祖父と養父がいるような時代。
鼻の高い見た事もない西洋人の元で、武家の娘が働くなど家名にも響くような難しい時代です。言葉も通じない相手の元で、何が起こるかもしれない恐れと恐怖。
しかし給金は他のどこよりもいい・・・・
なによりも普通の娘ならば、そうした西洋人を怖いと思うところを、セツは何故か恐れよりも興味深々な好奇心もどこかあった。
何故ならば、セツには3歳の頃に松江藩に招かれた仏人(フランス人)と出会い。対面した時に相手を恐れなかったセツに興味を持ち、仏人も彼女の手に虫眼鏡を持たせたことがあった。
外国人への興味を持ちこれがなかったら、ハーンとの事もなかったかもと後に述べている。
ハーンも又彼女のお話好きで、日本における怪談の話などを沢山知っているという好奇心旺盛で、西洋人にはない人間性に引かれたのでしょう。元々日本の古事記の世界に引かれて来日した彼は、彼女から聞く母親譲りのお話の世界に、興味を引かれたんでしょう。
セツも後にハーンの文学を、世に広める為の努力に努めていきます。
余談だが、元夫前田為二がセツにせがまれて話した怪談がある。
それが私が小泉八雲の怪談の中でも、好きな作品の1つとしている「鳥取のふとん」というその時のお話だ。
皆さんは知ってますか?![]()
ふたりの兄弟が貧しさゆえに一つの布団にくるまって寝ていた時の思いが、今もその布団に移っていて・・・ある宿屋で起こる怪異と繋がるお話。
物語は旅人がある宿屋に泊った夜に始まる。
寒い夜でふとんを着て寝ていると、どこからか子供らしい声が聞こえる。「兄さん寒いね」「お前こそ寒かろう」そんな風な互いを思いやるような声に、恐れをなした旅人は宿屋の主人にその事を告げます。
主人はこれまでも同じような事を言われたことがあって、とうとうそのふとんの出所を探ろうとします。
それを買った古道具やそしてその先での話。
どうやらそのふとんは、ある貧しい家族が手にしていたものだったようで、2人の兄弟を残して両親が次々と亡くなり、兄弟は家にある家財道具を売っては生活の足しにしていたのだが、等々売るモノもなくなりある寒い雪の夜に、二人でひとつのふとんにくるまり、兄さん寒いねお前こそ・・・と暖め合って寝ていたのです。
そんな時に大家が家賃がわりにと、その布団を取り上げて家から二人を追い出してしまいます。![]()
寒さをしのぐ為に追い出された家の軒下で、ふたりは身を寄せ合って抱き合って眠ってしまい。哀れに思った神様が、白い新しいふとんをかけてやりました。しばらくして二人の亡骸がみつかり、千手観音堂の墓地に埋葬されました。
その話を聞いた宿屋の主人は不憫に思い、そのふとんを寺に持ち込み供養をしてもらうと、それからはもうあの声は聞こえなくなりました。
この話・・・・何故かとても記憶に残っていて、ずーっと八雲の怪談という本の中で、どの話が好きかと問われる度に口にしてきたんですよ。
実体験でも、ある寒い夜にぐうぜん同じような声を外で聞いたことがあって、助手席の友人と急いでその場を後にした事がありました。(笑)
いわゆる怪談・・・心霊系です。
さて、これからの朝ドラ・ばけばけ・・・・
どういったシナリオになってくるのか楽しみです。
この続きのお話はまたいづれ・・・![]()





