マリー・アントワネットのライブラリー | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

日本に今もあれば、間違いなく国宝級であるような品々が、西洋に多く流れたのは明治の世になってから・・・・

多くは金に困った寺社などが、歴史の中で保管してきたモノを、海外からのコレクターらに譲ったとした事だ。

 

勿論・・・その時代以外でも、日本のモノを珍しがった西洋人達に、一般の商家や武家なども含めて貴重な品々を譲ったり持って行かれたり、そうゆう事も時代の中でけっこうあったようだ。

商家などは初めから商売でモノを売ったりしたりもしていた。

そうして流れた品々は、ヨーロッパを中心にして広がり中にはコレクションされた品々もあった。

 

 

例えば東洋磁器とか・・・・

 

 

例えば扇とか・・・・

 

 

とんでもないところで日本の甲冑を見ることになる事も、少し前に某番組内でスペインだったか貴族の屋敷に古い甲冑が置かれていて、その修理に日本へ里帰りしたとした事が、放送されているのを見た。

日本で言えば江戸末期・・・、国内の地図を海外に持ち出そうとして咎められた人物が有名だ。 

そう、シーボルト事件のオランダ商館医となって長崎に滞在したシーボルトの事だ。地図はねぇ~~、まだ鎖国中だった日本にとっては、海外の人間に国内の弱点を知られてしまう恐れもあったし、幕府が出禁としたものだっただけに、シーボルトが持ち出そうとしていたということがわかって、地図を返せと迫っても返さなかった事で、結局彼自身を国外追放としたんだよね。

 

その時の地図は何処へ・・・・うーん

 

そうした国宝級にもなるよな価値ある日本の宝を、世界中から買い戻そうとした人物らもいた事も書いておく。

その多くはアメリカにあるボストン美術館に納められていて、保管庫の中には未だに展示されていないお宝も沢山眠っているらしい。

数年前に私も日本で展示されたボストン美術館展に行って見てきたが、展示品の中には源氏物語の巻物もあった。

あまりに貴重過ぎて、とても薄暗い中での目が悪くなりそうな程の小さな光の中での展示となっていた。ぼけー

 

ボストン美術館には日本部・・・のちの東洋部となる場所があり、そこには日本における岡倉天心と2人の外国人が関わっているとした事を書いておく。彼等こそが、日本から流失してしまった日本の歴史的な美術品らを、私財をなげうって買戻しあるいはコレクションして、この美術館に保管したのだった。

 

その時代の人々の多くは、寺社などの襖絵を見てもその価値さえわからない人もいたようだね。巨大な二匹の龍の襖絵は、なかなか圧巻だったよ。それもボストン美術館内に保管されている。

ここに一冊の本がある。上差し

 

どうやら普段は書庫のようなところに置かれているようだが、私もこの番組を見て思わず えっ! ってなってしまった。

 

 

描かれているのは18世紀の長崎の絵。

現在の長崎市内の絵図なのだろう・・・・・・

 

こうしたものは、日本を訪れていた外国人がしたためたとしたものもあるが、そうした珍しいものが遠くヨーロッパに行っていたとした事だ。

 

 

実はこれ・・・、

あのマリー・アントワネットが保管していた本らしい。

 

それがわかったのは、本を閉じた時に普通は白い紙が重なって見えている部分が、金で装飾されていたとした事だ。

金の装飾を施す事で、美しいままに保管できるとしたことらしい。

図書館なんかで、昔同じような金色の施しをしたモノを見た事があるが、あれも本物の金ならば相当大切にされた本だったんだろうなと思った次第。ちなみに金って埃がつきにくいんだって、ほっこり

 

 

18世紀のアントワネットは、遠い東洋の異国の地日本の絵図を、興味津々に眺めていたのかもしれない。

但し彼女の性格は、あまり読書はお好きでなかったかと思うが、それでも時々動植物の本の話しなども聞くんだよ。

確か彼女のお母さんの影響もあって、東洋の器とかそうしたモノを手にしていたとも聞くけど・・・・。 アントワネットはその歴史が衰退していた陶磁器の為の釜を保護しました。

それは王妃のかまどとも呼ばれて、1789年のフランス革命後は王室御用達で作られた陶磁器らも、それを持っていた貴族らを中心としてバレないようにわざと無造作に置かれて、多くはドレッサーなどの引き出しにそのままの状態でしまわれてしまった。

それが再び日の目を見て、その貴重な流れを受け継ぐ事と復活をとげたのは、王妃が亡くなり200年程してからなのだそうだ。

 

アントワネットの陶器で有名なのは、彼女の胸の型を形どったと言われる乳房を下にしたおわん型の器。

別名乳のみ椀と呼ばれるもの・・・。 なかなかエロチックな器です。(笑) 私も昔本の中で見た事がありましたけど・・・・にひひ

 

 

フランスの王室で使われていた品々も、その多くは海外へと流れたりコレクターの手に渡ったりとしました。

そうした品々を、王室の歴史を特に好むあるひとりの男性が、郊外に持つ城の中にルイ14世や15世そしてアントワネットらの時代の間を再現して、各地から集めてきた本人らが目にしたり手にしたり、生活の中で使っていたモノらを、まるで彼らの為に作られた室内に飾って暮らしている。

 

この方ある日偶然誰も目に止めない屏風に目がいって、古びたその裏の布の端に・・・マリー・アントワネットの名前を見つけた時には、その偶然の出会いにすぐさまそれも手に入れたそうだ。

彼自身もこの時のアンティークの集まりにて、さほど興味をそそられるモノもないと落胆していた矢先のことだったと言う。

それは王妃が、フォンテーヌブロー城にて自身の寝室を飾っていたとされるものだったそうだ。フォンテーヌブロー城は王妃のお気に入りの城だったらしい。キラキラ

 

 

これが王妃が手元にコレクションしていたという本の姿だ。

紹介テロップには、イエズス会の名前もある。

 

 

これがどうやってアントワネットの手元に届けられたのかはわからないが、フランス王室の紋章も刻印されている。

まだどこかにアントワネットの指紋も残されているかも・・・・

 

いや・・・もしかして、アントワネットよりもルイ16世が見ていたのかもしれないね・・・なんて想像もしたくなります。ニコニコ

今この本は、東京の地にあり東洋文庫という場所に保管されているそうです。 ここには多くの東洋に関する書籍があり、元々は北京駐在中だったG.E.モリソンという男性が、中国を中心にパンフレットや欧文図書・地図版画・定期刊行物等。

様々な貴重な文献や資料等をそれはそれは多く集めていて、彼が北京を去る事になった時に、1917年という年にこれらの全てを買い取り日本に移した。

 

 

それらを移したという人物は、あの大河ドラマ「龍馬伝」でも有名になった。三菱財閥の源流企業である日本郵船を創設した人。

岩崎弥太郎の子である岩崎久弥(久彌とも書く)三菱財閥の三代目だ。余談だがモリソンの特に重要なモノとしては、あのマルコポーロの 

東方見聞録の各種刊本約50種などもあるそうだ。

 

 

ちなみにこの東洋文庫には、次の次かな・・・N局の朝ドラでも放送が決定しているラフカディオ・ハーンこと小泉八雲とB.H.チェンバレンという人との間で交わされた往復書簡計191通なども寄与されているそうだ。番組を見た感じでは、とてつもない資料となりうるものが壁一面に配置されていた。モリソンのコレクションされた数は、膨大な数になるようだ。そしてそれ以外にも・・・・

 

東京に住んでいる人がうらやましい。

こうした場所に行けるのだから・・・、流石に地方からだとお金も時間もかかってしまうからね。(苦笑) 

そしてこちらの東洋文庫は、昨年2024年11月に創立100周年を迎えたとのことです。残念ながらミュージアムの方は、現在は施設改修工事に伴う長期の休館中となっているようで、2026年1月頃まで休館とHPにありました。

詳細などは今後HPやSNS等で更新されていくそうです。

興味が湧いた方は、こちらの方を検索してみて下さい。

 

東洋文庫図書館の方は、現在閲覧は予約制となっていて・・・

こちらの開館日や利用方法等の詳細も、東洋文庫のHPにて確認をお願いします。グッ

 

 

東洋文庫ミュージアム 東洋文庫図書館 

都内文京区本駒込2-28-21

図書館利用時間は午前9時30分~午後4時30分まで

(本文中一部東洋文庫の歩みより参照)