こちらでの公開は、全て終わったと思うんだけど・・・・・
私のよく行く劇場での上映は、もう終わっちゃいましたがその最終日にやっと行けたという。(笑) なんともお粗末なご紹介作品です。
主演の 中井貴一 さんが面白い事を言っていました。
はじめてこの話しを頂いた時に、
題名だけで 大河 とついているだけに、きっと中国の黄河か長江などの川をさかのぼる旅人の話しだと思ったと。 その旅人が、途中途中で出会う人々と交流していく中で、成長をみせていく・・・・そんな話しだと思ったと。(笑)
確かに・・・・、
私も題名だけならば、そうゆう風に最初は思うかもです。(笑)
いや実際ちょっとそう思った瞬間もあったけどね。![]()
ところがどっこいこの話しは、元を正せば噺家の 志の輔 さんのお話しが元でして、なんでも 伊能忠敬の地図 が完成して200年の節目に披露されたお話しだったそうだ。
私もこの落語は聞いた事はないんですが、まさか映画の題材になるなんてと、志の輔さんも感無量の様子でした。
その志の輔さんも、しっかりと映画の中に登場してきます。
もちろん噺家とは別の役柄としてね。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
舞台となるのは千葉県は 伊能忠敬さんのおひざ元 ・・・
土地の人達は 「忠敬さん」 (ちゅうけい) と呼び、慣れ親しんでいる。 の・・・・はずだったんだけど・・ね、![]()
市役所の総務課に勤務する 池本保治 (中井貴一) は、ある日市の観光振興策を検討する会議にて、不意打ちに指名されてついつい何かいい案があるのかと問われて、市の出身でもある伊能忠敬を題材とした。 大河ドラマを作ってもらい、市のPRに繋げて観光客招致としてはと提案する事になる。
日頃から忠敬さんを崇拝するほどのファンである池本は、県知事がもの凄く乗り気であり、その知事が提案する脚本家に、是非ドラマの脚本を書いてもらいたいと、直接交渉へと向かわされる事となる。
橋爪功 さん扮する脚本家は、とてもいい脚本を書く人だったが、もう既に20年ほどペンを取っていない。
それには彼なりのわけがあったのだが、それでもなんとか書いてもらいたい、県知事直々の御指名なのだと、雨の日も風の日も毎日家に通い詰めて、やっと話しを進めるところまでやって来た池本。
取材を兼ねて忠敬さん縁の地や場所を訪ね。
池本とその 松山ケンイチ 君扮する部下が、脚本家を褒めたりおだてたり。 彼らは彼らなりの努力で、いい脚本が出来上がる事を期待していた。 その前に大河ドラマを放送するテレビ局へと持ち込む。
まずは簡単な紹介や物語の説明など、局に対するPRとなるものを、作成してもらおうと脚本家を接待するのだった。
伊能忠敬縁の地へ連れて行き、少しでも興味を持ってもらえるように、あの手この手でもてなして行く二人。
普段から忠敬さんを崇拝する池本・・・そして時々わかっているようでわかっていない。 実は忠敬の事を何も知らない部下の木下。
二人は忠敬がこうやって測量をしたんだとして、脚本家の加藤の前で測量時の測り方を披露。
それでも尚興味を示してもらえない加藤を、最後に連れて行ったのが忠敬が生まれた出生地である町にある記念館。
そこで加藤はある資料の前に立ち。 何もなかった時代にこれほどまでのものを、伊能忠敬は作ったのかと・・・・・![]()
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彼が感動して立ち尽くしたのは、伊能が江戸期に制作した日本国の地図と、その比較対象として重ね合わされた現代の日本地図だった。
衛生もコンピューターも何もない時代に、只人の足の歩幅だけで距離を測り測量を続けて、ひたすら点と線を繋げていった伊能忠敬達。
それ自体が想像を遥かに超える奇跡だと、脚本を書く事を引き受ける加藤。 しかし喜んだのも束の間・・・・
後日まずは局に届ける為の企画書をと、その締切日としていた日に現れた加藤。 それを喜びワクワクしながら待ちわびていた池本と木下の二人。 ところがその日加藤から思いもかけない言葉を聞く事になるなんて・・・・。![]()
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「で、原稿は・・・・?」
「駄目だよ、あれは伊能忠敬は、・・・・」
「伊能忠敬は日本の地図を完成させていない」
面食らったような驚きの表情と声をあげる池本。
忠敬 (ちゅうけい) さんが、地図を完成させていない?
そんな馬鹿な!!?![]()
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しかし詳しく資料を調べていた加藤にとっては、それは紛れもない事実であり、その人間が言うんだから池本らも余計に戸惑ったわけだ。
実はこうした思い込みや勘違いって、けっこうあったりもするものだ。
郷土の歴史人であり、ある程度有名な人となると、どうしても作られた歴史というものも出てくるもので、 逸話 として語られる事も多い中で、それがいつしか本物のお話しになって、人々が信じて疑わない事となっている事。
そうしたエピソードって、けっこう大河ドラマの登場人物の中にもあったりもする。 忠敬さんの場合は余りにも、世間一般で江戸期に初めて全国を測量して周り、日本の地図を作り上げた人と教えられてきたから、私だってそうなんだろうって疑った事がない時代もあった。
しかも彼が志を抱いて旅に出たのが、 56歳 という年齢だったという事さえ、 へぇ~~~ なお話しだよ。(笑)
今はもう当たり前のように知っている事も、未だに彼が完成させたと思っている人もいるのも確か。
忠敬さん大好きな池本さんが、そうゆう風に思っていたとしても仕方ない話しだと思う。(笑)
しかも忠敬さんの死後その死は隠されて、必死で仲間達が彼の意志を受け継ぎ最後まで地図を完成させる死後3年まで、忠敬さんが生きていると見せかける為に、あの手この手で頑張っていた事。
地図作りと共に隠蔽工作にも忙しい日々を、命がけで行っていたという事。
これは紛れもない事実だった。
物語の中では、時に我々の笑いも誘うような場面もあって、特に幕府方の隠密行動みたいな事をしている 西村雅彦 さん演じる男が現れたシーンでは、台詞は少なめだがその行動がいかにも笑えるのだ。![]()
そう・・・・、お気づきかと思うがこの映画、日本地図を忠敬さんが完成させたわけではないとわかった途端に、現代から時代が逆走して一気に江戸時代に変わる。
同時進行ではなくて、まったく違う世界の物語となって、目の前に現れてくるのだ。![]()
そして忠敬さんが亡くなったとわかった場面から、関係する仲間達の困りようが伝わり。 何よりもあと 伊豆半島 伊豆離島 といった地域の測量だけが残されたままで、計画がとん挫していた事で、忠敬さんの測量仲間達は彼の意志を継いで、なんとか最後まで完成させて欲しいと、幕府天文方の男であり用人への報告を兼ねた役を請け負っていた中井貴一さん演じるもう1人の役である。
高橋景保 (かげやす) に願い出て、高橋も父親 高橋至時 (はしとき) の代から父の元に入門して西洋天文学を学んでいた忠敬さんの事。
最後まで測量仲間達の気持ちをむげにもできず。
共に完成させるまでは、
伊能忠敬先生には、生きていてもらいましょうか・・・ と言ってしまう。![]()
そこから始まる地図作りと偽装工作。
この偽装工作には、下女のトヨや突然現れた忠敬さんの元妻であったエイも巻き込み。 西村雅彦さん扮する謎の男の内情を探る行動にも、とんでもない対応で対処していくといった。
笑わずにはいられないシーンにて、観る者を楽しませてくれている。
この下女トヨには、今いろんな番組や映画で引っ張りだこな女優。
岩井ゆき さんがキャスティング。![]()
また元妻のエイには、現代の市役所では観光振興策を会議で、池本らの前で発表していた 小林 という役も演じた 北川景子 さんが演じて、これもまた突拍子もない策を使って、西村雅彦さんを翻弄する役を披露している。(笑)
もちろん現代の役でも、謎の男として登場する西村さんは、現代でも江戸時代でも ネギ嫌い な男という個性的な役柄で、入った蕎麦屋ではネギ抜きをいつも注文するんだが、最後はちゃんとオチも見せてくれていた。(笑)![]()
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他にも知事役と徳川家斉の役で、 草刈正雄 さんが・・・・
測量隊員の1人として、役所でも池本の部下となる男を 和田正人 さんが、そしてこの物語を考案して実際に伊能忠敬地図完成から200年の節目に披露した人、 立川志の輔 さんも江戸では最後に忠敬さんを看取った医師 梅安 として出ている。
なんせ元が噺家さんのお話しなもんで、やはりオチや笑いがあちこちに入るというテンポの良さだ。(笑)
江戸で登場する役者さんらは、現代では全て池本の部下だったりして、だからって彼らが忠敬さんに関わった先祖とか、仲間達の生まれ変わりとかというわけではない。![]()
只わかりやすく もしもそうだったら・・・ なような話しとして、わかりやすく理解できる為の演出だ。
時代が2つ登場する事で、1本で2つの物語を楽しめるとした面白さ。
中井さんや草刈さんが、いきなりネクタイ族から時代劇の衣装になって現れたら、もうそれだけで自分が何の映画を観に来ていたっけ?
って、思ってしまうような映えようだ。(笑) ![]()
2014年の夏・・・・
私は長崎県佐世保市の 九十九島 を航行する観光船の上にいました。 その頃ブログにも書いた話しですが、ここにもちゃんと忠敬さんは測量仲間とやって来ていました。![]()
島の定義はまず![]()
自然に形成された陸地 水に囲まれている 高潮や満潮時にも水面上にあるという事。
この3つがあってのものを、 島 というらしいが・・・・
この九十九島という場所には、日本国内の我々が住む本州や四国・九州・北海道を除くモノ以外としては、約6,847島 存在していると言われているが、その中でもダントツの数を誇って島が存在しているのが、ここ九十九島といった場所。![]()
2001年のボランティアらの調査では、島の数が 208島 確認されているそうだ。 九十九 という名前も、実は江戸時代から使われた名前で、 「数えきれないほど沢山」 といった例え言葉で、九十九島と呼ばれてきたそうだ。![]()
観光旅行時に聞いた話しでは、この入り組んだ九十九島での測量では、現代で言えば一本の糸や紐を用いたとしたら、東京を起点にぐるりと日本を巡り・・・北海道を一周して東京に戻るというほどに、とんでもない距離を誇っているという事。
確認されている島は208でも、過去や現在ではその見え方や確認されているいないとした島が、存在しているのではとも言われている。
果たして忠敬さんの時代には、どのような数を測量して周ったのか。
今運行されている観光船でも、余程の経験者でなければ航行するのが大変ではと思う場所もあり、その昔はこの一帯を治めていた松浦藩の海賊 松浦党 といった海の武士団らの隠れ家もあったとの話しだ。 これだけ入り組んだ島々だと、それを見つけるのは大変だったろうと思う。 そんな場所を忠敬さんらは測量して周ったんだね。![]()
因みにこの松浦党は、壇ノ浦の源平合戦では平家方に味方して戦っている。 室町時代から幕府に認められた 水軍 だったという事だ。
もう1つ余談だが、伊能忠敬さんの生まれた出生地は、千葉県山武郡九十九里町小関 ・・・・ここにも数えきれない沢山の九十九がついていたね。(笑)
そこにあるのが、伊能忠敬記念公園だそうだ。
伊能忠敬記念館 の方は、香取市佐原の方にあります。
私が住む大分の地にも、お隣別府市で忠敬さんらの足跡の跡を見た事があった。
これは画像サイトからお借りしたものだが、私自身が撮影した写真が、ちょっと見つけられなくて緊急対策をしたとした事だ。(笑)
この写真のような大々的な目立つ標識は無かった気がしたが、その裏に立つもっと低めな測量を表した碑が立っていた。
これを別府駅周辺の通りで見つけた時には、ちょっとびっくりしてへぇ~な感じで、ここへも来たんだってそう思った。
狭い路地裏を出てきて、目の前にど~んと・・・・いやひっそりと立っていた碑に、今どれだけの人が気がついているのか。
少なくともこの写真のような目立つ金属製のポールは、立っていなかったと思っているので、気に留める人もいなかったかと思った。(笑)
私が大分県で最初に住んだ 杵築市 という国東半島の入口にある市では、測量隊が忠敬さんと泊まった場所を表す碑などもある。
でも住んでいた頃には、興味がなかった時代と人物であり、私自身は町中で気がついた事がなかったんだけどね。(笑)![]()
考えてみればこの 伊能忠敬 さんら測量隊は、意外に全国各地に足跡の痕とした石碑や像が立ち。
水戸黄門ならぬ有名人として、いや・・・黄門様は実際には旅に出ていないのだから、実際に旅に出た人としては、最多の数で足跡を残す人物として有名人でもある訳だ。(笑) ![]()
それなのに
大河ドラマにはなれない?
まっ、池本さんらはなんとかそこをと思ったんだけどね。
脚本家の加藤さんは、嘘は書けないとしてなんと最後は、その忠敬さんが生きていたとして偽装工作を行って完成させた。
測量隊の人々やその周辺の人々。
そして何よりもこの人を書きたいと口にしたのが、中井貴一さんが演じたもう一人の登場人物 高橋景保 だった。(笑)
加藤はいう・・・・、
「という事で、伊能忠敬は関係ないし香取市も関係ないけどね」 と
あっけにとられる池本達。
しかし映画は感動的なシーンで終わりを迎える。
徳川家斉 に披露された伊能忠敬の地図
大日本沿海輿地全図 (図の変換は昔の字でできず)
これには家斉もこれが我が国の姿かと、 美しい と声にするのだった。 股の開きの角度を保って一歩一歩前へ進みながら、日本を測量していった忠敬達の偉業は、確かに偉大だしもっと評価されるべきものだと思う。 大河ドラマになることがなくても、何か特番でドラマで取り上げられてもいいのではと思うくらいだ。![]()
ところでなんで伊能忠敬らは、江戸から近い伊豆の地を、最後の測量地にとっておいたのだろうか?
もしや最後の最後・・・・、温泉にでも浸かって疲れを癒す為?(笑)
まっ、そんな事は冗談だけど、私が住む九州へ来たのは「8回目」の旅の時。 第8次 測量旅は 文化8年 (1811年)
翌年の9年暮れには、九十九島や佐世保湾を測量。
(謎の男のしつこい探りに、元妻らも命がけで忠敬の死を隠す)
1795年 (寛政7年) 江戸深川黒江町に住居をかまえて、幕府の天文方である高橋景保の父親、 至時 (はしとき) に入門。
自も天文観測を行い天文学を習得していく中で、忠敬は地球の経度である 1度の弧長測定 に興味を持ち。
その事を立証する為にもと、56歳という年で恩師の推挙によって、幕府の命を受けてまずは 奥羽街道から蝦夷地 (北海道) への旅に出た。 蝦夷地での南から東海岸までは、殆どを自費で測量してまわり。 以後17年間、 1800年 (寛政12年) ~1816年 (文化13年) まで日本の沿岸沿いを測量してまわり。
1818年 (文政1年) 八丁堀の自宅にて 73歳 で亡くなった。
現在の千葉県香取市佐原の伊能家の養子となった彼は、48歳の伊勢神宮への旅で経度と方位観測をしていて、この頃より天文学や測量といったものに、興味を持つこととなった。
彼がこうした事に興味を持ったのは、どれも年齢が高くなってから。
佐世保に来て九十九島を測量してまわった時には、
相浦という場所で 68歳 の正月を迎え。 その時に詠んだ歌が残されている。
「七十に近き春にぞあひの浦 九十九島をいきの松原」
七十歳に近い春まで生きた事という長寿の思いを、九十九島の松に重ねて詠んだ歌だ。
九十九島他九州や他の地を回った後、
1815年 (文化12年) 70歳での 第9次 測量の旅は、伊豆半島と伊豆の離島の測量だったが、この時は忠敬の健康上の問題で彼自身は不参加としている。その翌年 71歳 第10次 では、江戸府内での測量を始めて、 1818年 (文政1年) 73歳で彼はこの世を去った。 その後は前出の話しの通りに、忠敬の師匠である高橋至時の息子 景保 (かげやす) と、忠敬の門弟の手で 1821年 (文政4年) に 伊能図 は 完成 したのだった。
伊能忠敬の死から3年後の事だった。
私の故郷土佐の高知の歴史人。
坂本龍馬 の物語 「龍馬伝」 が放送された頃。 龍馬の足跡を訪ねて各地へ旅をした時に、大河ドラマでのロケ地参考として、ロケハンが大河ドラマ放送の 2年前 から動いているという事を知りました。
訪ねた先は長崎県・・・・・![]()
九十九島も望める佐世保湾の一画にある、オランダをモデルとした街づくりを楽しめる ハウステンボス というレジャーランド。
この観光地の海に停泊していたのは、多くの幕末ドラマや映画でも活躍した撮影船。 ![]()
この時は龍馬も乗船したという いろは丸 として撮影されたと記憶しているが、普段は観光客らを乗せて佐世保湾から、ハウステンボスを望むとした短い航行を行っている。
あるいはイベントなどで、長崎市の海や各地のイベント会場で、見る事もできるとした事だ。 この画像・・・・お天気も悪くて夕刻だったんで、画像が暗めですみません。![]()
多分皆さん1度や2度は、どこかのドラマや映像で見た事がある船だと思うが、大河ドラマ「龍馬伝」でのロケハンは、この船を含めていくつかのロケ地候補を探していたという。
乗船できる日は、前もってスケジュールを調べて行って下さいね。
いつも航行できるとは限らないので、 今も停泊してるかな?(笑)![]()
只乗船できる時は、こうやって船上にてお客さん参加型のイベントなどもあって、こちらも予定を確認して欲しいのだが、私の時は「龍馬伝」撮影後だったんで、俳優さんらの直筆サインが船内のどこかに残されていたり、こうやってロープの結び方のレクチャーとか、船の穂先の綱渡りとか(笑) ドキドキわくわくな体験をさせてもらいました。![]()
近頃は次の大河ドラマだけでなくて、その次の大河ドラマまで早々と発表してしまう時代だけど、この映画での企画書を作成して、局に持ち込み大河ドラマ化をお願いする・・・・・とした事。
こんな事本当にイチ市や県としてあるのかなと、そう思ってしまうのだが・・・・そうやって、次回作が決まるものなのかなと、いやドラマ化候補にあがるのかなと・・・・。![]()
ねぇ~、だとしたら香取市の忠敬さんだけでなくて、各地のPR隊が力強く、土地の歴史人をプッシュしているのかな。(笑)
これは2017年に手にした福岡県 柳川市 の企画書。![]()
当時柳川では、大分とも縁のある人物 立花宗茂 とその妻の物語を押していた。
他の県や市でも、企画書ってこんな感じで作るのかな?![]()
もう相当力を入れ込んだ作りだよね。
宗茂は戦国時代の終わりから江戸時代の初めにかけて、唯一最初に治めていた自国である柳川を、一度国替えさせられているのに、後にもとの柳川へ返り咲いた人物だという事では、確かに徳川家の信頼も厚いし、彼の父親や養父そして妻 誾千代 ・・・・。
実は彼は大分県生まれで父親は、豊後国のキリシタンでも有名な歴史人。 大友宗麟 の有能な家臣のひとりであった事もあり、ドラマ性は十分あるとは思うのだが、どうにも一時期大河ドラマにて、 姫 をヒロインとした作品が続けて放送された事で、宗茂が駄目でも誾千代で・・・
誾千代が弱いなら宗茂と大友家臣団を・・・と、とにかくその為のPR活動が凄かった。(笑)
勿論・・・・
豊後国 (現・大分県大分市) の国主であった大友宗麟も絡めた
大分市側からのテレビ局への企画書では、宗麟達大友家とその家臣団の物語に、やはり家臣の1人の子であった宗茂も登場。![]()
大分市の大友宗麟押しの皆さんの凄さは、宗麟で弱いとなると宗麟は宗茂らの代だともうけっこうなおじいちゃんなんで、宗麟死後は柳川城の宗茂と誾千代まで巻き込もうかな企画書まで飛び出した。(笑)
ふたつの市はそうした事での協力関係にもなっていて、コロナ禍前はよくイベントで甲冑武将達が、演武をしたり披露されていた。
大分市から柳川へ、柳川から大分市へ・・・・・現在も多分進行形の縁だ。
何度か書いたが、大友宗麟を大河ドラマにでは、企画書と共に局の一番お偉いさんに会いに行って、なんと 第5話 までの台本まで作成して、進呈してきたと言う話しも聞いている。(笑)
その時相手のお偉いさんが、こう言ったそうだ・・・・・
いろんな企画書持ち込みがあるが、大分市のように第5話までのシナリオを持ち込んできた人達は初めてだ。
もちろん相手は苦笑いだったとか・・・・・。![]()
なんだか必死過ぎて、ちょっと引いてしまう話し。(笑)
伊能忠敬を大河ドラマに・・・・
としたこの 「大河への道」
まだまだ必死さが、ちょっと足りなかった気もする。(笑)
あなたの町でも大河への道が、進んでいるかもしれないね。![]()
その時にはどんなネタと内容で、PRや招致企画書を作成したのか、ちょっと気になるところ・・・・。(笑)
その点 戦国武将 の代表格である 織田 豊臣 徳川 のお膝元は、何かしらのドラマ化や映像化があるので、あえて企画書作らなくてもいいんではと思うんだけどね。
近頃は原作本からのドラマ化なんかも多いね。
一度大河ドラマになれば、その年は観光客倍増でいろんなイベントや企画にも、多くの人らが集まる。
県や市としては、それを目指しているんだろうが、ドラマが終わってからの後の事は、殆どのところがあまり考えていない気がする。
放送が終わると同時に、人の興味は次の作品の地域に移り、やがてドラマ化で盛り上げった地域からも、観光客が元の数へと戻って行く。
これからはその後の事に繋げる案も、大事ではと思うのだけどね。
高知県は2010年の「龍馬伝」放送後、局から撮影に使っていた龍馬の実家を買い取り、全てを移築して観光客らを楽しませてきた。
大河ドラマで撮影に使ったと言えども、只の張りぼてではなくて屋根さえれば、普通に暮らせそうな立派な造りだ。![]()
薄暗い居間だけど、時間と季節で庭の花々や植物、陽の差し方も変えられていて・・・・。 リアルさを保っていた。
この居間で、坂本家の面々がいつもご飯を食べながら、喜怒哀楽なシーンが撮影された。
福山雅治さん演じる龍馬が寝っ転がっていた 龍馬の部屋 も展示された。 初期では龍馬の部屋は、外から見るだけの部屋だったが、他の室内へは靴を脱いで入る事が可能となっていた。
後に龍馬の部屋も、随分と小道具が整理されて、入ることが許されたんだけどね。 福山龍馬の写真奥には、福山龍馬が実際作ったという船の模型が見えている。
大河放送後は、翌年よりこうしたモノを使って、別のイベントを設けて以後数年・・・・、集客数を延ばして来ていた高知県。
こうした活動を通じて人を呼び込もうとする関係者らの努力は、本当に大変なものだと思います。
今回の「大河への道」を見て、改めて伊能忠敬の偉業や、資料や足跡を訪ねる人もいるかもしれない。
公式ホームページでは、まだこれから公開となっている劇場もあるようだけど、この後は レンタル にて見る人が多いと思うが、劇場で観た人もレンタルを予定している人も、この物語はとある市の職員らが市と県のPRを兼ねて観光招致としての大河ドラマ化とした事を、願う人々のおかしくも一生懸命な物語。![]()
よって忠敬さんらの人物像も、詳しい経緯や人間関係もエピソードも、この映画の中では関係なし!
あるのは、作家による企画書づくりとそれにかける夢と希望。
その成功に勤しむ市の職員2名と仲間との物語。(笑)
日頃より「ちゅうけいさん」と親しみを込めて呼ぶ人々が、忠敬さんの大河ドラマ化はどうだと、郷土と歴史人への思いを溢れさせて、実は主人公も気がついていなかった真実に、知っているようで知らない事ってまだあるんだよって・・・・
興味を持たすような作り。![]()
とある映画の為のブログ中でのコメント欄で、伊能忠敬らの人となりや人間性や偉業がわからなかったと、書かれてあったけど・・・・
そうゆう歴史ロマンな映画とは違うと考えていてね。(笑)
それを描いちゃったら、2時間そこらで映画を終えられない。![]()
その歴史人を、大河ドラマにしてもらって観光客等の招致となればとした。 その為に職員2名が努力して思わぬ忠敬さんの真実を知らされて、右往左往してしまう笑いと真実の物語?(笑)
なんせこの作品の元ネタである志の輔さんの話しが完成したのは、
大日本沿海輿地全図 伊能図 完成から200年 を記念してのお話しであり。 忠敬さんの死とそれをひたすら隠そうとして、地図作成と共に奮闘して死後3年後に、めでたく我々も知る日本地図を完成させたとした偉業。
それに至る物語だという事だ。(笑)
なので確かに、脚本を依頼された加藤浩造が言うように、忠敬さんではなくてむしろ彼の死を隠して生きていると思わせて、地図の完成まで成し遂げたとした天文方の高橋景保や伊能の意志を継いで、完成まで頑張った人々の事を、脚本として映像化を望む。・・・・と、
「そうなると、香取市はもう関係ないけどね。」
BY:脚本家加藤の一言。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ! なんともまぁ~・・・・主人公真っ青のオチです。![]()
我が故郷郷土の歴史人らにも、意外な真実と隠された物語が・・・て人物もいるかもです。(笑) でも成功があったからこそ、そうした真実を導き出す事ができた。 失敗してたら、もうずーーっと隠したなりですよね。(笑)
忠敬さんの死後の物語も・・・・・
本来罪を問われかねない嘘をついてまで、伊能忠敬の意志を継いだ人々。 忠敬さんは、遺言通りに映画の中でもありますが、高橋景保の父親の隣に眠っているそうだ。
登場人物らがね、誰一人として憎らしくも偉そうでもなんでもなくて、真実のみを追求しているんです。
この作品・・、声をあげて笑って観ても良いと思いますよ。(笑)
私は要所要所で笑っていました。![]()
映画の物語と落語での展開は、多少大差があると思いますが、それは演出上仕方ない事。 笑って許してやって下さい。(笑)
伊能が作成したこの日本地図は、余りにも正確な地図だった為に、後の時代では外国人らにも狙われて、
有名な シーボルト事件 なども起こっています。
そして 1883年 明治16年・・・・・没後明治政府からは、贈位正四位を授与されている。
伊能忠敬って、もっとずっと前の人かと思っていたけど、彼が生きた時代。 1800年代後半には明治と時代が変わっていた事で、それほど遠い昔の人でもなかったんだなと、なんかそうゆう風に思いました。
本当にこんな凄いもの凄い事をやり続けて、今の地図と変わりない程のものを、200年前に作ったとしたら、この人達のやり遂げた仕事は偉大過ぎて、天晴としか言えません。![]()
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伊能忠敬という人物も、初めは地球の僅かな傾きを知りたくて、確かめたくて歩き始めた事が、世界をも唸らす功績へと繋がって行った事。
当時の寿命を遥かに超えて、歩き続けた真実が辿り着いた一枚の地図。 多分3年もの間彼の死を偽っていた事など、もはや咎める気にもならない程の出来事だったと思いますよ。
確かに幕府の資金援助も必要だったと思いますが、そりゃぁ~~騙して3年間も使わしてもらったけれど、それだけの仕事はやり遂げてますよ。(笑) やったもん勝ち! その後のこの仲間達の生き方も気になりますね。
大河ドラマというジャンルは、今やもの凄い人気ジャンルで、多くの人をその関係する場所に集めるいい呼び込み材料だと思います。 ですが・・・・歴史好きからしたらもう1つ、![]()
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大河の1滴 ではありませんが、こうした人物達の生き方を知って、そこからその先の事を知ろうとする。 あるいは歴史人や歴史の裏側を知るきっかけとなってくれたらと、私はそう思うのですよ。
あっ!違った・・( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
この映画・・・歴史絵巻ではなくて、只の役所絡みな市と県を盛り上げたいとした人々の奮闘記だった。(笑)
しかし中井さんやケンイチ君などの1つで2度おいしいコスプレドラマが見られて、なんだかとってもお得感。(笑)
さすが中井貴一さん・・・・、時代衣装もお似合いで場面が締まります。
一気に時代劇の世界感ですよね。
現代でのお姿では、おもいきりケンイチ君にも振り回されるコメディーを演じています。![]()
時代は違うけど中井さんと松山ケンイチ君。
以前大河ドラマ 平清盛 で、親子役を演じていたんですよね。
あの時とは偉い違うキャラですが、どうぞ笑って楽しんで下さい。
まだ劇場公開されているかどうかは、公式HPで最寄りの劇場をご確認下さい。
この物語での主人公達は、何もひとりだけではない。
そして主題歌である 星路 と書いて 「みち」 と読むなど、物語の終わりに流れる 玉置浩二 さんの歌声には、思わず聞きほれてしまいます。![]()
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